晴天の湘南平は絶景だった。
前を見れば、半円形の相模湾が青々と広がり、その袖を大きく広げたように、東に三浦半島、鎌倉、江ノ島、ずーっとやってきて、右手西側には小田原、真鶴、熱海を過ぎて、遥か彼方の伊東には大室山が見える。
もちろん忘れてはいけない。目の前手の届くほどのところの海に浮かぶのは、三原山を有する大島。その右奥の円錐状に見えるのは利島か。
しかもこれだけではない。
振り返れば、住宅地を下に眺めた先に見えるのは、大山、丹沢山系の山々。そしてその先に、まるでシャーベットを塗ったかのように輝く金色の富士山が聳り立つ。
おまけに東西に長い標高181mの山頂には、東に電波塔、西にレストハウス展望台があり、この実に面白い設計のレストハウスの階段を最初真っ直ぐ、続いてあれこれと曲がりながら登り詰めると、「ワァーォ!」、驚くべき高さの展望台に至り、怖くて両手で手すりを握り締めて、目の前の富士山と対峙し、同時に下方に相模湾のどこまでも広がる海を見下ろす。
う〜む。こんなに素晴らしい景色が身近にあったとは。これまでこれを知らなかった自分が恨めしい。
焚き火同様、よく開けた景色は人を癒す。リセットさせる。ゲーム依存症少年に与えるべきものはこういうものかもしれないとも思った。
山頂公園に石碑があり、よく読めないが、当時市長だった戸川貞雄という人の筆跡であるそうである。「湘南平」はこの人の命名であるそうである。「かける三筋の緑がある・・・」とは読めるが、これは山並みのことを言うのか。
家へ帰り調べると、戸川貞雄は作家で、1955年に平塚市長選に担がれて当選二期務めた人だと言うが、実は『小説吉田学校』で有名な政治評論家の戸川猪左武氏の実父であり、作家菊村到の父親でもある。大磯平塚には、吉田茂や河野一郎の邸宅があり、その縁で市長になった。陸軍高射砲台があったために米軍の爆撃対象となり戦後しばらく荒廃していたこの山が復興整備されたのは、文人市長がこの景色を愛したからであろう。そう言えば、どうしてだったか、若い時に大磯の故戸川猪左武氏宅を訪ねて、その奥様にお会いして、そこに作家の奥さんの典型を見た思い出がある。
ともあれ、佳い景色は我々をリセットする。
元気にさせる。