雪の日 | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

新年早々諸処の思いにとらわれて、雪が降った明くる日の、暗く重い気分の朝を迎えた。

午前10時15分。

外は昨日の残雪のため、自転車で出ることも車で出ることもためらわれたので、ものすごく久しぶりで徒歩で出た。

レインシューズを履いているが、ともすれば滑りそうになるのでゆっくりと一足ずつ歩く。

女子大通りに出てバス停に着くと、時刻表の上に、「積雪のため、道路状態が回復するまで運行停止」の張り紙がある。

いくらなんでもバスはチェーンを巻いて走っているだろうと思っていたが甘かった。

どうせ乗るのは老人主体だから、わざわざ滅多に使わないチェーンを履くくらいなら、思わぬ事故が起こる可能性もあるから、休んだ方が「節約」と判断したと思われる。

五日市街道を渡り、サンロードのアーケードを通って吉祥寺駅へ。

雪のないアーケードに入ると、皆歩調がやや速くなるが、日本人は全員マスクをしている。

マスクをしていない人はいない。

ここまで徹底されると、「感染対策」のためではなくて、他の人が皆しているからと思えてくる。

改めて日本の教育の効果はすごいと感じる。

そこには「分断」と「多様化」を拒む何かがある。

マスクしていることは共通するが、そのマスクは皆様々である。

久しぶりでスイカを使って各駅停車ホームに上がって5分ほど電車を待つが、風が強く冷たい。

ホーム上の自動販売機のかげを目指すと、そこにはすでに「先客」がいた。

20歳くらいの小柄な女性が背を丸くして何か一生懸命スマホを使っている。

寒さの中でのホームレスの選択を思ったりもする。

氷の張った池の底で、動かぬ場所を選ぶ魚たちを思ったりする。

10時48分の津田沼行きに乗って、窓外の景色を見る。随所に残った雪が見える。

色々なことがアタマをよぎる。

 

―お前のやってることはバカじゃあないのか?

―お前のやっていることに意味があるのか?

―お前が生き続けることに意味はあるのか?

―お前のやっていることは実は一種の勘違いなのではないのか?

 

夏の灼熱、冬の寒気・・・体力が本格的に落ちてきたと感じる今、自分のするべきことと、やりたいことのどちらを優先させることができるのか。

そうした「迷い」も起こる。

たとえやりたいことがあったとしても、若い時のようにそれをする体力はもはやない。

それどころか、まだこれからの若い人が死んだりする。

若い人が死ぬのは悲しい。

長年連れ添う人に憎まれるのも苦しい。

体力の減退で充分なエネルギーに不足することも恨めしい。

考えることを止めようと思って電車を降りて、エスカレーターで下って、西荻駅構外に出ると、そこに本来なら乗るはずだった吉祥寺行きのバスが入ってくるのが見えた。

午前11時5分。生徒は来ない。

すると、生徒からのLINE。

「お腹が痛いので少し遅れます」。

これに対して、思わず、

「笑いすぎか?」と返していた。

今回年初の近地点新月は重かったが、それに続く1週間後の脱力感も大きかった。

偶然悪いWAVEがあれば、偶然良いWAVEも来る。

何も感ぜず、何も考えないでいられる人をいたずらに羨ましく思う。

夕空に未だやや大きい「三日月」を見た。

右下に見える惑星は木星か土星か。

18日には最も遠い満月が来る。

寒さの中、30日の近地点後、2月1日の新月が来て、この日が私立中入試の本格的始まりである。