近地点新月でアタマがキンキンするが、正月二日の今日は完全に禁足で家から出なかった。
唯一したのは池の氷を割って取り除き、地面の乾いた植物に水をやり、また池に水を足したことだけである。
私が子どもの頃、まだそこには火鉢があった。と言うより、室内で暖を取るには火鉢と炬燵しかなかった。どちらも炭を使った。昔はよく黒豆を火鉢で煮たものである。いつの日か、火鉢は無くなって、石油ストーブの上で黒豆が煮られるようになった。
お節料理というのはいつからあったものか。
そもそも五節の祝いの時の料理のことを言ったのであろうが、重箱に詰めるようになったのは江戸時代からではないか。
調理をするには台所のかまどの火を起こす必要があるが、それはその面倒見と後始末が必要であるし、また煙の匂いもする。
来客も多いお正月は台所に火を起こしたくない。すると、冷めても美味しくいただける豪華な料理が準備されることになる。
海山季節の幸を、地域地域の材料を使って作り上げる。
そこには乾物の存在が大きかったろう。昆布、みがきニシン、かずのこ、椎茸、これらはお節料理の食材に欠かせない。
元は高級食材だった卵による伊達巻、蒲鉾、銀杏、栗きんとん。
火の通ったブリ、タコ、海老、鮑などの魚類貝類。
牛蒡、人参、大根、里芋、絹さや、筍、銀杏と言った植物生産物の煮物。
何と豊かなことであろう。
お雑煮のための簡単な温めや餅焼きは火鉢でできた。
つまり、お節料理とは、台所に火を起こさなくてもよいお料理である。
またお正月に多くの来客があることが前提のお料理でもある。
お節料理は美味しい。今は注文すればいくらでも手の込んだ高級なものを手に入れることができる。
でも三日で飽きる。
多くの現代の子どもたちは、これを当然「美味しい!」とは思わないことだろう。
ポテトや唐揚げやハンバーグが食べたいと口にすることだろう。
お節料理は、温泉同様、第二時大戦後に家庭のガス使用が当たり前になって、また少子核家族化するうちに、作る人が激減した。
やがて多くのご家庭からなくなっていくと思われるこの料理を、外国の人が見たら、何と手の込んだものと賛嘆することだろう。
お節料理は、手先が器用であることが前提の料理でもあった。
でも、大切なのは、ほぼ塩味が前提の味覚だったろう。
お節料理には、我が国の文化がいっぱい詰まっていると思う。
自然は豊かだが地下資源の乏しいこの国には、外に売るべき文化の蓄積がいっぱいあると思う。
その中心は日本人の「味覚」ではないか。