永井道雄『未完の大学改革』について | JOKER.松永暢史のブログ

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最近、いよいよ乱読の傾向がひどくなり、読むために引き剥がした本のカバーが山となっている。

本当にお恥ずかしい話だが、どの本も読み通せない。デスクでちょっと読んではすぐに別のところへ行き、デスクに戻ってきても、別の本を手に取る。これでは子どもが見るものを決めずにテレビのチャンネルを操作しているのと同じである。

いい加減斜め読みして終わらせるものもある。学習関係本で、自分で読んでも仕方がないと思うものは次々にリベラルの生徒たちなどに投げ与える。

芥川賞についても酷かった。女性作家による受賞二作についても酷かった。まずその一つはとても知的な感じが漂うもので、選考委員一押しの作なのだが、最初の段落を読んだだけで、これを最後まで読み通す気力がないことになってしまった。続くもう一作は、初めその言語的試みが面白いと思って読んでいたが、途中からバカバカしくて話についていけなくなってやめてしまった。人の話を聞くのが下手とは、何度も言われたことだが、老化のためか、人が書いたものを喜んで読む気にもなかなかなれない分別くさい自分がいる。

しかし、その中にも、なぜか手元を離れず繰り返し目を通してしまう本が出る。古典的名作がそうであるが、中にどうしても読み捨てることができないものが出る。

その一つに、永井道雄著/山岸駿介編『未完の大学改革』(中公叢書 2002年刊)がある。永井道雄氏は、ご記憶の方も多いであろうが、元文部大臣。京都大学哲学科を出られた後、米国留学。Ph.Dを取った後、京都大学助教授から東京工業大学教授となり、学生紛争後の74〜76年に文部大臣を務めた気鋭の教育社会学者である。70年からは朝日新聞の論説委員を長く務めた。この本の出版の2年前の2002年に逝去している。

ということは、この本は、多大なる永井の業績の跡を、一般に伝わるようにまとめて残したいと言う「後輩たち」の追悼の思いが作らせたものだと言うことなのか。

永井は文部大臣の職を引き受けた理由として、現状(70年代)日本の教育の問題点を深くそして多岐に分析したあと、69年に刊行した『近代化と教育』(東京大学出版会)の末尾に書いていた文章を引いている。

「予言めいたことは言いたくないが、このまま進めば、日本の大学も文化も衰退する。しかし人々に不満があり、混乱を意識しているときには、まだ前進のエネルギーがある。暗中を模索して未来のための形をつくり、前進の方向を見定めることこそ急務だ。」

なんとも苦しい見解だが、その通りだと思う。しかし、それは不可能なことだった。このやや古臭い日本人的精神は、この後高度成長化する中で空転することになった。

混乱を意識する人は一部で、前進のエネルギーを持つ人も一部で、暗中を模索して形を作ろうとする者はほぼ皆無だった。

教育と文化が衰退する本当の理由、それを強くダイアローグして答えを見出さなければ、教育の「再生」はまずない。

しかし、それに答える人はなかった。

意識されなかった。

そして永井の深い意識は過去のものとして葬り去られた。