1941年12月8日、日本軍は、米軍ハワイ真珠湾基地を攻撃し、米国人約2500人の命が奪われた。そして、その「報復」結果は、太平洋戦争。本土都市空襲の上、沖縄壊滅、広島長崎への原爆投下であり、この結果300万人以上の日本人の命が奪われ、大陸その他のアジア地域ではさらに甚大な数の犠牲者が出た。
2001年の9月11日、アルカイダの乗っ取った飛行機がアメリカ資本主義中枢のニューヨーク貿易センタービルに突っ込んで、約3000人の命が奪われた。これはアメリカ本土が「攻撃」された初めての事件なので、アメリカは、「国防」のために、必要以上の報復をしなければならなくなった。
イスラム原理主義のタリバンは、アメリカが突きつけたアルカイダ構成員の引き渡しの最後通牒を拒否した。
こうして起こったアフガン戦争では、アメリカは猛空爆によってたちどころに「制圧」し、タリバンをカブールから追払い、「民主主義的」国家政権の樹立を画策したが、タリバンの抵抗は止まなかった。そして、8兆ドル(約880兆円)もの戦費が投下され、米兵も7500名、全体で92万人が命を落としたという。そのほとんどは米軍の空爆によるアフガン民間人だったろう。
2011年、アメリカはイスラマバード近郊のビンラディン潜伏地を突き止め、これを特殊部隊攻撃で殺害・「海葬」した。
しかし、その後もタリバンの攻勢は止まず、アメリカが作った政権はしっかりとした力を及ぼすことはできなかった。それにアフガン人なら誰でも思うことだろうが、なぜ自分たちイスラム教徒と全然関係がない、しかも世界の果ての国が自分たちの国のことに干渉してくるのかと。そこには、これが戦争のための戦争であると言う疑念さえ浮かび上がる。
そして2021年8月末、アメリカはアフガンから撤退し、瞬く間にイスラム原理主義のタリバンが主導する政権が立とうとしている。なおもこの瞬間戦下で死に瀕する人たちがいる。こうしている自分を忘れたくなる。気が狂いたくなる。
それにしても、8兆ドルもの国費を使うことをよくアメリカ国民は許すものである。しかも何も得るものがない。アフガンは遊牧やケシの栽培には適するかもしれないが国土の大半は「不毛の地」である。そしてそうした地でこそ、アメリカ人には信じ難いほどイスラムの信仰と結束は強い。
アメリカにはベトナム戦争への反省がなかった。
イラク戦争への反省もなかった。
いや、彼の国の「軍事」資本主義体制には、そもそも戦争という行為に対する「反省」は必要のないことなのかもしれない。
アメリカ国民は、自らの判断で、自らの選んだ政治体制で、この20年の戦争を継続させた。
人権に最もうるさい国が、空爆でものすごい数の罪のない人々の命を奪って。
それはなんのためだったのか。