月は新月、良い夜である。
外へ出る。
雨上がり涼しく、虫の音がかぼそく泣き続ける。
A・I発達していよいよ「シンギュラリティ」が迫るとき、そこではA・Iとロボットの発達により、既にGAFA経営などで見られるように、事務方を含めた多くの単純労働作業の仕事が、A・Iとロボットにとって代わられることになることは目に見えていることである。そして、そうした労働の中でも、どうしても人間の手でやらざるを得ない仕事の多くは、我慢してやる忍耐力が必要な単純労働が多くなることだろう。だからそれらの賃金は高くなっていかざるを得ないとも言える。
A・Iたちができない労働、それはたくさんあるはずであるが、それは特殊であったり、忍耐力が必要であったりする仕事であることが多くなるのではないか。
でも、労働は「労働」のまま。
ますます「遊び」のない「労働」のまま。
今や都市で働くコンピューターの知識がない者は、人種年齢性別に関わらず、生活上仕事上のあらゆる困難に直面することになる。もちろん一方でカードによる消費という「便利なもの」が広がる。
A・Iを操作する側に回ること、そのための知恵を身につけることが、各個別の専門分野学習と同様に、これからの学習の「柱」になるだろう。
そして、そのためには、日本語のテキストが読みこなせること、英語でも同様のことができること、解析学、行列、統計処理の素養を身につけることが必要になる。プログラミングの知識は重要だ。そして「ビジネス」を思いつく力が大切になる。
これらを習得したものの延長線上に、未来の「支配階級」が浮かび上がる。
もちろん医師などの専門職も相変わらず有効であるが、その仕事にも既にA・Iが入り込んでいることは明らかである。
一方で、サービス業など、人間でなければ行えない仕事もあり、その代表は逆転的に「農業」ということになるのかもしれない。
しかし、その農業にもA・Iによる管理化が迫ることだろう。
想像し始めると止まらなくなるが、さらに「リモート」が可能な仕事が増えることにより、住環境の再選択・再設定が起こり、これはやがて「自然」に向かうことになる。また、「支配層的」であればあるほど、労働時間が短くなるはずであり、またそこに生まれた余暇時間を有意義に過ごす能力が重ね問われ、シリコンバレー成功者を追跡すれば、それは「芸術活動」ということになるようだ。そしてその「芸術活動」には、感性と創性が欠かせない。自己の内面からのエネルギーの放出能力が必要である。自己の特殊性をアピールするYou-tuber的生き方も可能である。
つまり、もしも「未来的支配層」を目指すのであれば、あるいは、そうでなくとも「上位層」を目指す場合、感受性と創造性、自己表現能力を培うことを忘れてはならず、その前に高い言語力をものにし、しかも数学にも通じ、自ら問うて思考する力を培うことを目的にしていなければならないことになる。
しかし、この一方で、自然に近い安価な場所に居を移し、余分な出費を差し控え、食物の一部を自分で生産し、余暇時間を芸術活動など創造的な時間に使って生活することを目指すことも可能である。この場合は、A・Iなどの知識はある意味で無用であるが、もしもA・Iについての知識も充分に持ち合わせて、自然の中で仕事をしていれば、子育てをしてしかも豊かに生活することも可能だろう。
どうだろうか。そのような未来社会が来ることに対応して、感受性、創造力、言語力、数学力の土台を与えるような教育が行われているであろうか。それにほど遠い状態であることは明らかなのではないか。そしてそのことに「無自覚」であると思われることも明らかなのではないか。いやもしも、これが「わざと」やっていることなのだとしたら、またそれはそれで「格別」であるが、当然の如く、このブログは「冗談」で書かれている。