つわものどもの夏の後に思うこと | JOKER.松永暢史のブログ

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やっと「夏」が、夏休みが終わろうとしている。

昨日は5件だったが、今日は午前に1件、午後キャンセルで、編集関係Zoomでの仕事2件。

この後温泉に行き、今夜深く長時間眠ることの算段を行う。

ついでに、またしても南半球産フルーツ類買い込み、おまけに懸案の丸ごとスルメ購入。

家へ戻って冷蔵庫の北海道産イカ刺し。これは母にもらったもの。

俺はどうしてこんなにもイカが好きなのか。

明日は午前より4件の予定だったが、既に1件キャンセル。

ヘンだと思われるかもしれないが、実は「キャンセル」は「歓迎」。

今日も加熱した路面上を走ったが、ボワーっとして意識を無くそうと思えば無くすことが可能な状態。

明日夜は奥多摩泊予定。

明後日29日朝より、現地森林内でドン小西さんらと、講演・対談シンポジウムの予定。

セミの声が邪魔にならないかと気になるが、なんとか気持ち良くこなす予定。

週明けからグッと気温が下がる兆候。

今年の8月初頭の暑さは、尋常ではなかった。命短くなることを感じた。

ところがお盆に入った頃から、雨が多く降り、やけに涼しくなった。この期間、毎日9時間以上の睡眠を貫徹し、やや回復して、盆明けまた暑いが、すでに陽短くなって、それ以前よりはマシな状態。

でも暑さは確実に老いたる身を消耗させ、「回復」に時間がかかることを教える。

思うに、「死」とは、「回復」に時間がかかり過ぎることによって起こる。

「回復」のための「睡眠」の最中に起こる。

「永眠」と言うのは、喩えて妙だ。

目が覚めないのがコワイとは、目が覚めていないことに自覚的ではないことでもある。

ダマされるとはダマす者がいると言うこと。

そしてそのダマされていることに気づかないと言うこと。

もし自分がダマされていたことを認めるのであれば、それは自分の「価値観」の変換、「プライドの喪失」を意味する。

曖昧なアタマである人々は、そのことを選択しない。

自分は生きているからそれで良いと認識する。

だから、「教育」を変える必要性があることは意識に上らないことになる。

自ら主体的に「下層」を妥協選択する時、賢さよりも忍耐力の方が重要になる。

そこにはどこまでも、表に現れない、際限のない「差別」が存在し、それは「上層部」によって意識的に隠匿される。

我々は、そうした「弱肉強食」の社会にいることを改めて再認識し、その次の「選択」を突きつけられていることになるが、そのことに自覚的ではない者は、永遠にダマされていることに自覚的ではない、「過去の世界の人」ということになるのか。

本当に「腕力」のある者、畢竟、比較的生存能力が高い者とは、どのような「選択」をする者たちなのか。

それは考えても現象しない。

行動しないと「現象」しない。