私は、バルザックの文学同様、マーラーの音楽を熱愛してきた者であるが、もしこの世にこの二つがなかったとしたら、どんなにか自分の人生はつまらなかっただろうという思いを禁ぜざるを得ない。
もちろん私の人生を楽しませたものは、「配偶者」同様、他に数限りなくある。また、読書を通じて多くの宗教者、哲学者の存在とその言説を知ることは、「有意義」ではなかったと言うことはできない相談である。
多くの人もまた個々別様に同様のことを持つのだろう。
でも、私個人の人生にとって、バルザックとマーラーとの出逢いは本当に大きいことだった。
彼らは当然私を知らないが、人生元気が出ない時に読むバルザックと、人生苦しくなった時に聴くマーラーは、なぜか何よりも、「癒し」と「エネルギー」と「転回」を与えてくれる。
人生で最も繰り返し聴いたと思われる曲は、マーラー交響曲第3番の終楽章のアダージョであるが、実はこれやヴィスコンティの『ベニスに死す』で有名な交響曲5番のアダージョで充分満足してしまい、9番のアダージョについては、愚かなことに、やけに遅くて眠たくなると思ってそんなに聴いてこなかった。しかし、高校時代に唯一同級生でマーラーを聴いていたA君は、「9番が最高傑作だ」と言っていた。そしてあらためて今聴くと、これが深く心の琴線に触れて来るほどに「あはれ」である。この雲の流れような抽象性の表象はいったい何なのだろう。
指揮者のマーラーは言い残している。「聴衆がアダージョについてこられないときは、テンポを速くするのではなく、逆に遅くせよ」。
マーラーは交響曲第3番を、ウィーンの西方約200kmのところにあるアッター湖畔のシュタインバッハで作曲している。1891年のことである。ここはアルプスが東に伸びた端の裾に当たるところで、山に囲まれた湖の南側にある。アルプスはその背後ということになる。マーラーを訪ねた弟子のワルターがその佳観に眼を見はっていると、マーラーは「心配しないでいい。もう僕が全部曲にしてしまった」と語ったという。
次に交響曲第5番を作曲したのはアッター湖から南南東約120kmのところにあるヴァルター湖畔のマイアーニックの作曲小屋で、ここも山に囲まれた湖である。マーラーはここで、6番、7番、8番も作曲している。
ところが、交響曲第9番を作曲したドッビャーゴ(ドイツ名:トプラッハ)のアルト・シュルダーバッハはヴァルター湖から西へ約120キロのイタリア領に入ったところでアルプスのど真ん中。『大地の歌』も作曲されたここは、近くに湖はあることにはあるが、作曲小屋はそれからだいぶ離れた森の端。南向きに目の前は畑か牧草地でその背後にアルプスの山々。つまりマーラーは、東アルプスをまずは北から眺め、次は東から眺め、次はその山中へと移動して作曲したことになり、そこには単に避暑目的以外の作曲的動機があったに違いないと思われるのである。
マーラーは語っている。
「諸主題というものは、全く異なる方向から出現しなければならない。そしてこれらの主題は、リズムの性格も旋律の性格も全く違ったものでなければならない。音楽のポリフォニーと自然のポリフォニーとの唯一の違いは、芸術家がそれらに秩序と統一を与えて、ひとつの調和に満ちた全体を造り上げることだ」。
ここで言う「自然のポリフォニー」に当たるはずなのが、マーラーが夏に過ごした作曲小屋の周囲環境であることは明らかなことだろう。
それは何か?特にあのアダージョの「天啓」を与えるものとは何か?湖畔の美しい景色から離れて、森林に近い所で得られるものとは何か。それは完全な静寂、と言うよりもスーパーハイソニックサウンドだけに包まれた聴覚環境と、山を背後に空を過ぎ行く雲の流れと、真暗闇から見上げる満天の星空ではなかったか。それを写し取ったのが交響曲第9番の終楽章のアダージョだったと言えるのかもしれない。この曲のスコアの最終部分には、「死に絶えるように」と書かれているが、マーラーはこの翌年の1911年に他界している。
You-Tubeで鑑賞するなら、とりあえずアバード指揮のものを推奨する。