大学入試改革の背後にあるものーその10 | JOKER.松永暢史のブログ

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選択肢式国語テストを難しくするにはどうすれば良いか。それには、

 

①    出題文を難しいものにする

②    出題量を多くする

③    選択肢レトリックを読み取りにくいものにする

 

の3つがあると思う。

は擬古文出題などもあるが、難しくするも限界がある。測りたいものは受験者の国語力なので、それでは意味もなくなってしまう。

も良くやられている。速く読めれば良いってものでもないと思うが、受験生が解答できないほどの量を課すのは無意味である。

は、出題者の力量が最も発揮できるところと言えようが、あまり答えが確定しにくくし過ぎると、内容読解というより選択肢文チェックにまるで豆粒拾いのような頭脳集中を課すことになり、これまた意味が薄くなってしまう。

 

わざわざそんなことをしなくても、記述試験を実施すればすぐにそれらの問題を解決できるはずなのに、採点が大変で面倒だということになるらしい。しかも、もしも受験者の水準が低い場合(これは意外と多いことがわかっている)、すなわち記述解答試験の対象にはならない者の集合を対象とする場合、これを試験するには選択肢試験で行わざるを得なくなることになる。でもその試験では全体順位や偏差値は出せても、大学に入学後に学習できる国語力があるかどうかは測れない。そんな者はA・Oや小論文で採ればいいのだから、ほとんどの大学の一般入試はいよいよそれをやると儲かるからという理由だけでやっていることになる。そして皮肉にもその受験者の大半は、大学での教育対象とは見なされない者たちであることになる。

大学貧乏?→入試儲かる→何回も受けさせたい→選択肢マークにする。簡単に言えばそういう思考を元に行われて来たことと言うことになるらしい。いや、研究儲からない+教育儲かる→生徒たち集めたい+ついでに入る前にも金を取りたい→試験何回もやる+外国人も入れちゃう→選択肢マークは当たり前、だって本当は大学に来てもあまり意味のない人たちが対象なのだから、それはほぼ単におカネを取ることだけが目的のビジネスということになるのか。そしてその周りに多数の教育ビジネスがびっしりと張り付いている。

「大学業界」—これは最早「建設業界」、「金融業界」などと同等の営利追求システムになっている。

そこには現、元文科官僚、大学教授、出版社教科書会社、人材派遣会社、予備校などが相互にびっしりと生えた苔のような状態になっており、そのナチュラルな到達地点が、まるで花火大会に人を集めるかのように、マークによる50万人全体試験となったのであり、さらにそこでもっと利潤が上がるようにしたために、高大接続システム改革は瓦解のピンチにさらされているのである。

センター試験が学生のアタマに悪過ぎることがわかって、国としてこれを止めるべきだと判断した文科省官僚たちなどは、センターマーク試験の復活を求める高校生や親たち、高校大学教師たちの群れを目の前にして何を思うことだろうか。その想像は容易いが恐ろしい。まさか、自分たちの教育政策のあまりの正しさの実感ではないだろうが。

以上当然の如く、このブログは「冗談」で書かれている。