「釣り」と言ってもいろいろある。同じ魚を捕るにしても漁師が網で獲ることは「釣り」とは言わない。
では、釣りとは何かということをここで端的に確認すると、糸の付いた釣り針に魚を引っ掛けてオカに釣り上げることである。ではどうして魚がそんなものにひっかかるのかと言うと、それはそこにエサが付いているからである。しかし、いくらそんな仕掛けを投げ込んでも、そこにその目的の魚がいないのであれば、掛かることはない。つまり、釣りとは魚がいるところですることが前提の行為ということになる。
こう書いてしまうと当たり前のことで、身もふたもないが、話を進めるに先立って、予め釣りというものについて再度確認しておきたいのである。
すると、海で釣りをするには次の三つの選択肢があることになる。
1 魚がいる海岸に行って投げて釣る
2 コマセで集めてすぐ近くの魚を釣る
3 舟で魚探で漁場で釣る
どれを釣りと呼ぶのかわからないが、間違いなく太古から伝わるそれは、1の投げ釣りであろう。
現代では、竿やリールの発達によって、遠くまで仕掛けを投げることができる。
しかし、いくらルアーや仕掛けが優れていても、魚がいないところでは釣りにならない。まるで砂漠で狩りをするようなもの。釣りは魚がいることが前提に成立する。
だから、海へ向って投げる前に、まず、魚のいそうなところを見つけなければならない。あるいはさらに魚がいる時間を知らなければならない。これは、同じ浜で釣りをする「仲間」からの直接間接の「情報」によって決まる。だが、いつ確実に釣れるかは誰にもわからない。
気象、気温、海水温、風、波、潮の流れ、直前の降雨量、そして月。そうした様々な要素が合わさって魚のいる時間が決定されて来る。中には「運」の要素が強く、「勘」に頼るしかない面もある。魚とは回遊するのが一般である。しかしそこが面白い。いやそれがなければつまらないことだろう。エサで集める?そんなことをしてもオモロうない。魚探を使う?それもオモロうない。オモロいことは、全てが自分の判断と技量で決まる魚との真剣勝負の醍醐味である。
てなわけで、よく知る海に向って岸壁から投げるルアー・フィッシングが釣りの一つの究極の形になってくるのである。
書こうとすることがやや衝撃的なことなので、とかく話の前提がくどくなってしまう。また、それが伝わるように書けるとも限らない。でもこれでとりあえず「ルアー」を読者に投げることができる。