『不自然』 by セナ | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

焚火のおかげで中3でゲーム依存を脱した高2生が、「自分の考えをまとめた」そうで、その文章が回って来た。この子はそもそも全く文章の書けない子だったが、カタカムナ音読を修得し文章が書けるようになりつつある。でもそれまでにあまりに積み重ねがないので、言っていることがよくわからない文章も書く。はっきり言って稚拙である。でも、「カーストが低い」と自認する生徒が自らそのカーストゆえに見えたことを記述するのは貴重で珍しい。カーストが低い者は、その発言権が限りなく小さいことが普通だからである。どこか気になるものがあったので、やや編集して以下に掲載する。タイトルも不自然だがそのままにした。

 

 

『不自然』

 

どんな親でも子どもを心配するのは当たり前です。その中でも現代という世界で「ゲーム」という鎖で縛られた子供の面倒を見るのは大変なことでしょう。今回はそんな「ゲーム」と「学校という名のプリズン」「それから発生するストレスと解消方法」「私の思考」をお話ししたいと思います。

 

 

「ゲーム」

 

「ゲームとは一種の娯楽である。」これはある中学生の発言です。

中学2年まではずっとゲームを友達とやっていましたが、その時は本当にゲームが好きだったので、大人が子ども相手に金儲けしようとして作った「娯楽」だなんて発想はまだ出てきませんでしたが、今思えばゲームは確かにヒマつぶしの娯楽です。

大人がゲームを全面的に否定する気持ちはわかります。親は、子どもがゲームをしてたら、決まって「勉強しなさい」とか「宿題やったの?」とか言って来ます。

なぜ子供はゲームをするのか?それは  ゲームが「娯楽」であるから。それは事実である。しかし、そもそも「娯楽」というのは大人がストレスなどを解消するためのもの。それもまた事実である。そして、子どもにとってゲームというのは比較的簡単に購入/使用できる楽な娯楽である。

では子どもが娯楽を欲するのはなぜであろうか、それは次の項目でお話しします。

 

「学校という名のプリズン」

 

学校は刑務所と同じです。「成績という名の鎖」「校則という名の自由抹消用不確定要素多数ルール」など様々なことに縛られています。そういう理由で「プリズン」と呼ぶのもありますがそれだけではないです。

例えば小学校、まだ何も知らない無知な子供たちはなんでも吸収できる。まるで新品のスポンジのように です。しかし教えるのが上手くない教員が泥水ばっか注いだら、スポンジの中には汚れたり穴が空いたり使えなくなったりするものが出てきます。

そして、やがてそんな状態が悪い者は見捨てられて、たまたま生き残った状態の良い者ばっかりのために時間が使われるのは当たり前ですよね? 状態の悪い者に教えるためにわざわざ時間を作るなんてないでしょう?だから対応がいい加減になります。

ゴミみたいな生徒のちょっとした問題行動になんて手を出してわざわざ仕事を増やすことなんてしない。親に伝えるだけ。子どもは先生よりも親から言われる方が嫌に決まっている。そして、親にぐちゃぐちゃ言われると、やる気がそがれストレスが溜まる。どうしたら良いのか。

収容所に入れられている人は不満やストレスが溜まると思う。行ったことがないからわからないが、多分溜まると思う。

学校内のカースト下位の人達はそれなりにグレたり病んだり精神がおかしくなる。そのせいでストレスを解消したくなる。そこにゲームと言う「娯楽」が待っている。いや、そこにはゲームしかない。

ストレス解消法の選択肢をなくしているのはバカな周りの大人たちでもある。 大人たちは自覚した方がいい。自覚が足りないことを自覚した方がいい。

 

 

「それから発生するストレスと解消方法」

 

学校内で起る「カースト」などによるいじめ、劣等感、 疎外感、精神的な疲労 。その他様々な不幸なことによりストレスが溜まる。周りを気にする人は特にそうです。そうすると、ネット環境に逃げるしかなくなります。

でもそのストレス解消法が別にゲームでなくてもいいんじゃないか?とか大人は言います。違うんですよ。そこにゲームがあるからやるのではなく他の選択肢を自分で消してるからゲームしか選択肢がなくなっているのです。消しているというより思いつくのを止めた状態。

サッカーをやりに外に行く。アウトドアなことをする。そういう発想がない。発想力というのは鍛えるのものでもありますが、守るものでもあるのです。想像性は最初のうちに潰してしまうと元に戻すのは大変です。その想像性を潰してしまうのが下手な教員とバカな親たちなのです。

 他のことを想像できない。それで、より簡単に楽にできるゲームに手を出してしまうんです。すると文句を言われる。

本来の目的のストレス解消として使っている娯楽なのに、そのストレスを与えてる人たちにどうこう言われたらさらにストレス溜まって負の連鎖になって行きます。

 

「私の思考」

 

私は説明が下手である。文章力も足りない。人に考えを伝えるということはとても難しいのは前から知っている。 

私はまだ高校2年生であるが、ふつうの大人と同じくらいの思考ならできると思う。いやそれ以上のこともできるかもしれない。私は専門科目がある学校に行っているが、そこの友人たちに今書いているようなことを話しても無意味である。みんなあんまり考えることをしない。理解されない。聞いてもらえない。だから、ここに書いたことが少しでも多くの人に伝わればうれしいと思う。

(以上)

 

リベラルアーツに参加を勧めようと思う。