食物を過度に摂取すれば肥満になる。肥満は自覚され、体重計の数値にもそれは現れる。肥満は、過剰摂取を控え、できるだけ運動するようにすれば解消される。しかし、世間ではこれをすることが困難な人が多いことは明らかなようだ。
対して、「情報」の過剰摂取は、自覚されず、数値にも表れない。意識されず考えにも及ばない。実は自分の精神不安などの理由がそれに因するとも気づかない。
テレビやネットのスイッチをいれれば、こちらから求めずとも、どんどん情報が流れ込んでくる。そしてその中心にあるのは商品に関する情報に他ならない。何かが売り出されていることを知り、それが欲しいか欲しくないか、買いたいか買うことができるのか判断する。そしてこうした判断を繰り返す間に、自分にとって重要な問いかけをすることを完全に忘却する。たとえばー自分が幸福に生活するために今この瞬間にしているべきことは何か?—といった問いかけである。つまり、自分にとって大切なダイアローグをしなくなる。
情報過多になると、余計な判断を多くする必要が起り、また大切なものが何であるのかわからなくなることにより、快感以外に何が重要かわからなくなる。しかも、肥満と違い、そのことに自覚的になれない。ただそこには「わからない」ということだけがある。
すでに情報による人間コントロールの研究が発達している中、情報の過多に自覚的でないことは危険である。
スマホの過剰使用、オンラインゲーム依存、年中イヤホン、テレビ見っぱなし、彼らはどこへ行こうとしているのか。しかし、「犠牲者」の山の中にしぶとく「生き残る」者も出てくるにちがいない。彼らは自己の情報の過剰摂取の状態を客観化した者たちということになるのか。
以上当然の如く、このブログはナカバ「冗談」で書かれている。