第161回芥川賞・直木賞はそれぞれ、今村夏子、大島真寿美の両氏が受賞とのことだが、一応純文学的新人賞の芥川賞候補の5人中3人が女性作家。では、すでに連載を充分にものする作家が対象の直木賞はというと、何と6候補者中6人が女性候補。これは偶然か。選考委員は芥川賞も直木賞も、9人中4人が女性。
文学の世界ではあたかも平安女流文学の隆盛の再現を彷彿させるが、これに対して国会議員では女性の比率は約10%。世界193国中165位(2018年)である。これは偶然か。これがヘンだと思わない人は、かなりアタマがオカしいことになる数値である。なぜ日本では女性の国会議員が稀なのか。
政治に先行する文学の世界では、すでに女性上位である。これは、時代的に創作的作業に女性が向くからなのか、それとも創作的営為に優れる男性たちがその能力を別の分野に用いているからなのか。ともあれ、受賞した女性作家たちは喰うために並々ならぬ苦労を体験した人たちであるにちがいない。
では、こうした受賞作品を(まだ読んでいないが)実際に読んで見ると、これまで面白いと思ったことはまずない。ABCなんチャラは多少面白いと思ったが、コンビニ作品は気持ち悪くなるだけだった。コメディアンの書いた小説は、筆致に斬新さはあっても「作品」になってはいなかった。まあ「新人賞」だからしかたがないか。
すでに、栗本薫、上橋菜穂子といった、SF・ファンタジー的な想像能力において、博学明晰な女性作家が圧倒的な空想能力を暗示させる作品を提示してくることは体験しているが、どうして、単に感性豊かな女性よりももっと意外な作品構築ができるはずの男性作家が現れて来ないのか。もっとダイナミックな発想力や女性の至らない男性独自の感受性を体現する作家がどうして現れて来ないのか、自殺や反抗よりも、「ロック」よりももっと上の反抗表現手段、なぜここに男性的創造力の爆発が起きないのか。この「世紀末」において深まる謎の一つではある。「ひきこもり」諸君に期待したい。