ある幸福者 | JOKER.松永暢史のブログ

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朋ありて遠方より来る。

一人は現役の産業医で、一人は一流企業を退職して1年目の人物。

西荻バルタザールで会食。

登山とテニスが趣味の医者はいつもと変わらずそれなりに元気。

驚いたことに、もう一人の退職者は、エネルギーが充溢して全身元気満々で、おまけにその表情からは幸福感が溢れ出していた。

そこで、質問してみた。

—仕事がないと、日常ヒマで困ることはないの?

これに対する彼の言葉は、

「いやそんなことは全くない」。

本当だろうか。誰もが、それを認めたがらないはずである。

そこでさらに問う。

—本当か?すぐに次にすることが見つかるか?

「ああ、朝早く起きて家事を済ませて、ネットで株の状態をチェックして、サックスの練習をしたり、週に3回はゴルフに出かける。」

—サックス!?

「そうだよ、数年前から先生について習って大分さまになって来たがまだまだだ。練習は近くのカラオケボックスに行ってする。4時間ぐらいあっという間に経ってしまう。」

少しずつでも確実に上達するのが嬉しくてしかたがないようだ。

好奇心も広く、展覧会や音楽会の情報にも余念がない。しかし、一人でカラオケボックスで楽器の練習というのではいささか暗い。さらに突っ込んでみることにする。

—そろそろセッションとかもしているの?

「今年あたりはそう願いたいね。でもまだまだ腕を磨かなくちゃね」

—作曲とかものを作ることもしちゃうの?

「うふふ、それもぼちぼちね」

家事とゴルフと音楽と芸術鑑賞。傍らで株価のチェック。

考えようによっては自分の生活と似ているとも言えるが、そこには「労働」がない。こちらは株価のチェックもしない。

つまり彼は30年以上の重労働から解放されて「貴族」になっているのである。

自分は組織に属さず時間バイト生活で、自分の時間を大切に生きて来たが、生涯それを続けなければならない。

昔は老後が短かった。何かするなら若いうちにと考えることが多かった。会社勤めで鬱病になりかけるほど働いても、定年後の残り時間はわずかだった。しかし、今は退職後に20年以上の人生がある。

それを自分を高める時間に使う。

「幸福」には様々ある、とあらためて考えさせられた。