昨日は天井誕生日だったそうで、今日はキリストの生まれた日だったんだってさ。
でもそれが自分といったいどういう関係があるの?
実は、これはよくわからないことである。
仕事で初めて日本に来たイスラム教徒は、「クリスマス」を観て「ぶったまげる」と言う。
何でキリスト教の国ではないところで、こんなにもクリスマスが盛り上がるのかと。
ブッダや孔子やアッラーの誕生日も祝うのであるかと。
人々は、理由をつけて盛り上がりたい。
そもそも、思想に関係なく、「盛り上がりたい」という気持ちが先にある。
それはなぜなのか。
思うに、盛り上がりたいとは本能的なものなのではないか。
でも、それを自分の「発想」の下に盛り上がれる人は限られる。
だからこそそこに、「祭り」がある。
焚火の日と同様、誰かが起こした火に人々が集まる。
であるとすれば、人々は、与えられた時間をいかように過ごすことが正しいのか。
これはわかる人にはわかる「冗談」として書かれるべきことである。