遠地点通信ー「冗談教」の「信者」の皆様に | JOKER.松永暢史のブログ

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12日21:25遠地点経過。これはその10分後の記述である。

15日20:49に上弦となるので、引力弱く、まるで自転車で平坦な坂道を登る時のように、何かをする時に主体的な意識が必要なWAVEである。以下そのWAVE下における記述を試みる。

筆者はこれ(=ブログ)を、個人の無責任の「戯言」として書いているが、そこには当然、意識的に書かないようにしていることも多い。

「意識的」とは「意識」があるということである。

最近、社会一般諸現象について、以前と異なるものの見方をする自分がいることを「意識」する。

歳取ったと言えばそれまでであるが、何と言うか、感情の起伏がない中で対象の判断をする自分がいるという「自覚」と言えばよいか、それは一種の社会的「諦念」とも言えるものかもしれない。

生意気なことを言うのはやめよう。

筆者が知るのは、「気づく」のは、あるいは「了解」するのは、常に、どの時代においても、社会の「一部分」であるという「真実」である。これは歴史的に見ても明らかなことである。そもそも「歴史」とはわかった人の認識の結果的記述である。

ほとんどの人にはわからない。

自分を取りまく同時代社会がいかなるものであるか。

そこで単なる生物を超えた「生命体」としての自分が選択するべきことが何なのか。

そんなことわかるわけがない。

つまり、「わからないこと」が「常識」なのである。

わからない人にはわからない。なぜならわからないまま生きることがその人の社会的役割だからである。

すると、わからないことによって「葛藤」することはナンセンスなことになってしまう。

ここにおける「覚醒」のニュワンスは、一般人には「無関係」なことなのである。

これを意識するには、「冗談」が欠かせないと思うのが筆者の認識なのである。

このブログは、「冗談教」の信者のために書かれている。

以上当然の如く『冗談』で書いた。