これからの時代は「作品化」ということが、生きる上でより重要な意味合いを持ったものになると予想される。
作文を書く。しかしそれは「作品」ではない。
人に読んで発表する。それでもまだ「作品」にはなっていない。
人に読んでウケる。それでもまだ「作品」にはなっていない。
ただ作るだけではなく、それを元にそれ以上あり得ないものを作り上げようとする。
そしてそれが、個人の個性を超えて確実に独立したものになっている。
それが「作品」である。
絵を紙に書く。それを壁に貼る。それは「作品」とは言えない。
自分でながめて何とも言えず美しい、あるいはオモロく仕上がったものを、それにピッタリ合った「額縁」に入れる。そうして眺めて申し分なく、さらに良くなるものを「作品」と呼ぶと思う。
料理は美味しければそれで申し分ないが、それをほど良い器に盛りつけてこそ「作品」になると思う。
だだ描ければ、ただ書ければ、ただ作れば良い時代は過ぎた。これからは「作品化」の時代になることは目に見えている。「作品化」する意志がなければ存在の意味が希薄になる時代になる。
では、「作品」の基準とは何か?—と言えばそれは難しい。
中には、限りなく「作品」に近いが「作品」ではないものなんてものもあることだろう。
そのちがいは何か?
それはある種の限界挑戦の試みと完成度なのか。
それとも多く試みる中で偶然できるものなのか。
「仕事」でしない。「作品」をつくろうとする。
それは数少ない自己向上の機会を万人に開く。