中高一貫私立中の学級崩壊がヒシヒシと伝わってくる。
私立中学期末試験の援助をしているが、そこにあるのは「能力開発」とは全く無関係の「進級」のための学習である。
教師というものの多くは、与えられた教材を丸暗記することができた自分に誇りを持ち、それが教員採用試験で「確認」され、だからこそ「教師」であると思わざるを得ない人たちである。また同時に多くの「宿題」=課題をこなすことが「当然」と思う人たちの集団である。
1648年にウエストファリア条約が結ばれたことは「歴史的な事実」であろうが、それがハプスブルグ家の皇帝主権が弱体化し、代わって現在のポーランド地域に基盤を持つプロシアの勢力化であることがわからなければ、その後のヨーロッパドイツ史を説明することはできず、その欽定憲法を模倣した大日本帝国憲法が成立する経緯に結びつける考察はできない。
「1648年=ウエストファリア条約」と暗記することは何の意味もない。意味があるのは大学受験の出題に備えることのみにおいてである。事実は、17世紀中盤において、キリスト教的対立以上に、近代ヨーロッパ国家体制が形成され始めたということであり、このことの理解がなければ年号暗記はなんの意味もない。
これはわかり切ったことであるが、「保守的」な教師たちは飽くこともせずこまごまとした歴史知識の暗記を生徒に強いる。
つまり歴史的な意味よりも、用語の暗記を優先する。
これは、残念ながら、検索並びにAI到達の現在において、ややマトモな生徒諸君は「無意味」と判断するに難くない。
教師たちは、本当に「世紀末的」に、気づかないのである。
これまで当たり前と思っていたことがそうではなくなり、「無意味」なことになっていることに自覚的になれない。「歴史」を学ぶことの本質が未来予想であり、必要な知識は、すでに「情報」としてネットの中にあるのであることを理解できない。
つまり、極めて重要なキーワード以外は覚える事を要求する現在教育の下で必要がないものなのである。
可哀想なのは子どもたちである。
未来的に役に立たないことをとりあえずの学校進学実績のために強制的に学ばされる。
これは言うまでもなく、採点が楽になるように金儲けのために出題し続けた私立大学の「罪」でもある。
子どもたちは愉しいことが好きな反面、「思春期」に至れば、「正しくない」ことに積極的には従わなくなる。
この「WAVE」が読み切れない教育関係者は、これから「終末」に向けて本当に酷い目に遭わざるを得ない。小学教師も、中学教師も、高校教師も、大学教師も同等である。
学問の目的は、当座問題の自己的解決である。
全て教育に従事する者は、この新しい流れを「捨象」することはできない。
先のために求められてはいないものを、判断力養成に優先して、規定の暗記を保守的な判断で強要する。
これは、「歴史」というものについて、真の学習ができない者に共通する愚かしき点である。
子どもたちは「フレッシュ」である。
冴えていればいるほど、意味のないもの、オモロくないものを、直観的に排斥してしまう。
教育者こそ「油断」するべきではない。
教えて意味がないことを教える教師は、皆不要の存在なのである。