ニュースの低迷化について | JOKER.松永暢史のブログ

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そもそもテレビは見ないので、新聞とネットのニュースで済ませようとするが、これが意味のない記事ばかりでほとんど読むべきものがない。知りたいことは、シリアの情勢や各国の動向、あるいは国内で政治家がどのような政策を考えてどのような会合や活動をしているのかなのだが、記者クラブ的な記事ばかりで、自分で取材して来た深い政治記事はまずない。シリア情勢については明らかに情報が制限されている。それがなぜかも分からない。

ネットのニュースはほとんど意味がないものばかりでクリックする気にもなれない。

相撲業界の騒動も、皇室の結婚騒動にも興味がないし、小学校の制服がなんチャラなぞはニュースにする意味さえ感じられない。どうでもよいことばかりである。意味のない芸能情報などはトップニュースに掲げる必要性も疑いたくなるほどだ。不倫騒動にも報道の意味がない。細かいことの挙足取りも本当に多い。

記者のレベルが下がっているのか、その上の「縛り」があるためなのか分からないが、「愚民」を対象にした報道姿勢が目につき過ぎる。このままでは報道自体の存在意味がなくなってしまうとも思う。そうすれば頼みの綱の広告収入も減るはずだ。

でもそれでは、国民が知らないうちに企業体や政治家が勝手なことをすることを監視できない。いや、そもそもそれが目的なのか。

隣国や特定のメディアの印象が悪くなるようなわざとらしい報道も目立つ。これらは特別の指示の下にやっていることなのではないか。

そもそもタダで手に入る情報とはそんなものかと思ってしまうが、こちらが齢を重ねたためか、書いている記者たちの観点や知能レベルを疑うようなものばかり。

ここにも文化的低迷政策の「効果」が現れていると思う。

ひょっとしてこれは、有料のネット情報を利用するようにしむけるための画策なのか。

気がつけば、どんどん本を買ってそればかり読む生活になっている。

しかし逆に、街の本屋はどんどん姿を消す。

筆者は、アマゾンで調べて買いたい本名をコピペして街の本屋にメール注文して買っている。

わざわざ日本語の本を外国資本の本屋で買う必要がないと考えるからである。

読者にもこれをお勧めしたいが。