相変わらず、帽子、サングラスで自転車に乗っていると警官に呼び止められる。
自分は人に一見して善い人に見えないようにする習癖があって、これはセンスがないことの裏返しなのかもしれない。
そもそも子どもに興味がなかった。ややアスペルガー気質で、子どもの時は他人の気持ちなんて考えたこともなかった。
子どもに対する見方が変わったのは自分の子どもを育ててみてからである。
自分の子どもができる前は、生徒たちにとって、「先生」ではあるけれども「対等感」のある「兄貴」に過ぎなかったかもしれない。
それが自分の子どもを育てるうちに、生徒たちの「存在」を愛し、これができるだけ幸福になるようにアドバイスして助走する存在に変化して行った。
そして今、自分の子育てが終わると、目の前に現れる子どもたちは皆「可愛い」存在になる。
特に就学前の3〜4歳の子どもたちは本当に可愛い。彼らは純粋で濁りがない。まだいろいろなことの後天的な認識の仕方を身につける前の段階と言える。
せっかくの「武装」をしていても、警官同様、この子どもたちには筆者は「カモ」に見えるらしい。
どこへ行っても必ず、挑発して遊びを仕掛ける子どもに襲われる。
アンパンマンを手に「攻撃」して来た4歳児に話しかける。
「アンパンマンはアンコの部分とパンの部分のどちらが大切なのか?」
「そりゃアンコじゃよ」
「そうか、では、なぜアンマンという名前にしないのか?」
「食パンマンもいるよ」
ここで急に右腕を伸ばし、指先をならす。そこへ目が行った瞬間手に抱えたアンパンマンを奪い取り、それでガガガと攻撃すると大笑いして夢中になって奪い返す。
「王」は宣う。
「アンパンマンをとってはダメ!」
まことに愛らしい。
しかしこれが中学生相手だと可愛いがバカらしくもなる。
「先生、ボク将来塾の先生になることにしました」
「へ〜なんで?」
「友達にも何人か、将来塾の先生になりたいって子がいます」
「へ〜信じられないことだね」
「どうしたら塾の先生になれるんですか?いったいどういう人が塾の先生になれているんですか?」
「そりゃ、僕みたいにバイトしているうちにずるずると、あるいは博士まで出て就職口がないとか、一般社会で働くことができない人たち、就職し損なった人も多いね。でもね、良い教師に必要なのは挫折の経験なのさ。一度挫折してそこから這い上がった人間。そうでなければ子どもの相手をして教えられないよ。自分が勉強ができるのと他人を勉強できるようにするのは意味が違うからね」
「じゃあ僕は、正にその資格がある人間ですね。なにせ現在挫折中だから」
これがなかなか自分で学習することができない中学生が口にすることだから、「可愛い」というより「アホらしい」思いを禁じえない。
塾教師たちよ聞いたか?
諸君は子どもたちの憧れの職業の一つだってさ。
諸君の健闘を祝福するが、そのバカらしさを共有するのは、我らのみぞ知る。
以上、当然の如く、このブログは「冗談」で書かれている。