子どもの能力を格段に伸ばすマル秘技のひとつは、子どもと24時間生活をともにして勉強の習慣を与えることである。
これには2つの方法がある。それは、
1 教師が子どもの家に泊り込む
2 快適なところに合宿して子どもを指導する
で、あるが、
1は「教育環境設定」と称して筆者が少なからず実践してきたことであるが、これは受け入れ側によほどの構えがなければ実現しない。では、子どもを教師の家に引き取るということを実践した人がいることは前も書いたが、その場合、教師の夫婦関係が崩壊して離婚に至る。
ではどうするか?
V-netに合宿させるというのは不可能なので、どこか場所が欲しい。でもそれは同時に都会の子どもをリフレッシュさせる、思いっきり自然環境体験できるところでなければならない。しかも交通の便よく、そんなに遠くないところが望ましい。
子どもには「自然」が大切。
子どもを勉強に向わさせるには、まず自然環境で思いっきリフレッシュさせなければならない。
これに反論できるものは「バカ」だけだと思う。
では、どうするか?
今日、午前に自宅で音読メソッド録画収録を行い、その上で奥多摩へ向った。
そこに、V-net前田先生が、ふつうなら到底ガマンできないような、信じられないような数々の因習的不合理な障壁を乗り越えて、ついに借りることに成功した古民家があるのである。
それは河岸段丘の上の高台で、対岸山景を見渡せる素晴らしい家だった。
庭も畑も焚火の場所も全てが確保された、しかも室内には「囲炉裏」があった。
炭火ながら、これを残し続けた前生活者の心が、庭の荒れ果てた枯山水の合間に咲き乱れる花々の様にしみじみと心に染みてくる。
ここに新しい教育が始まる。
子どもには、自然の「エネルギー」が必要である。
便利な都会の高層マンションに住むだけではなくて、一軒屋でも遠景の望まれぬ家ではなくて、目の前の景色も自分を包む環境も、全て「自然」である状態の体験が子どもには欠かせない。焚火はその象徴だった。そして、どうやら世間もそれを知った。
しかし、その「エネルギー」の後にこそ、「学問」がある。「芸術」がある。我々はこれから来る未来社会を乗り越えるための「武装」の一つとして、それらを選択しないわけにはいかない。
学問すること、つまり、最大限にアタマが良くなることをしないわけにはいかない。
芸術すること、つまり、自己存在の特異性の表明の試みをしないわけにはいかない。
限りなく自己存在の意味を拡張すること。
それならどの子もついてくる。
それには自然への感性と好奇心を充たす教育環境設定が必要である。
「焚火」の次は「囲炉裏」になると予言してきたが、思いのほか早くその実現を達成した若い力に感服する。
とにかく発射準備オーライである。