子どもに現在やっていることの失敗をイメージさせる
子どもにパーフェクトな状態を求める
子どもができないことを責める
これらは密かに自分が賢い人間だと思っている人間が犯す「陥穽」である。
もしも、自分がやっていることに成功性がないことを示されれば、子どもは追体験的な体験を阻まれる。つまり、それがダメであることを実体験できないことになる。
もしも子どもにパーフェクトな状態を求めれば、子どもはそれが徒労に過ぎないないことだと思い込んで努力を軽減する。
子どもだからできないことがあるのに、その部分に絞って子どもを攻撃すると、子どもは自分の無能を感じて幻滅することになる。
このような当たり前の「事実」を、なぜかしら「傲慢」でいられる親たちは、自らの「世間体」を基準にして、簡単に捨象する。
「愚か」としか言いようがないが、本人は自分がしていることが正しいと思う習性が身に付いているので、気がつくことはない。
これはペニスに「勃起」することは正しくないと示唆することと同然であるから、それは「未発達」な状態に置かれることになる。
これが「平気」とは、尋常ならざることである。
しかし、これに気がつけない。
「学歴」なんて関係ないのである。
「バカ」は『バカ』であることに気づけないだけ。
『バカ』は自分が子どもを壊していることに永遠に気がつけない。
しかしそれは、世間で当たり前の現象である。
この対処はふざけてみせることにしかない。
「ルアー」に引っかからない連中は賢明である。