戦争の「果て」に来るもの | JOKER.松永暢史のブログ

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経済的に行き詰まりつつある資本主義が、その最終打開手段としての戦争を繰り返すことが果てた後にはいったいどのような世の中が来るのであろうか。

戦争がバカバカしくてやってられない。

戦争なんてしているバアイでない。

そんな状態は、どのようなことが過ぎた日に起ることなのであろうかはわからない。

でも、70年前に日本は体験した。

多くの人命が失われ、人間の造った都市が破壊され、そして「飢餓」がやって来た。

「飢餓」がやって来るともう戦争なんてやっていられない。戦う前に命が尽きてしまう。

兵士に代わり農民が国家を支える「英雄」になる。

思えば、戦争はやや豊かだったからこそできたのだ。

今の世でも空爆を行うのは豊かな国ばかりではないか。

今のところテロリストがなぜ狙わないのかは謎だが、戦争が起れば、まず相手国の原発をミサイル攻撃することになるだろう。

世界中のあっちこっちで原発が破壊され、世界中に放射能がまき散らされる。

最早放射能を避けることはできない。そこでは放射能でも生き残れる人たちが生き残るだけである。

もちろんその状態では戦争なんてやっていられない。

都市生活者は大半が絶滅する。そうでなければ脱出する。

農村で農業生産しているものは生き残る可能性が高いが、放射能の影響が収まるのには時間がかかることだろう。

やはり、戦争が起らないようにするにはどうしたら良いかを考えることが正しいことになる。

憲法9条にはその一つの考えが集約されているのではないか。

何かが起きそうな秋である。