多動症やアスペルガーの子どもの問題は、本人が「それだ」と知りえないところにある。
たいていは「落ち着きがない」とか「場をわきまえていない」とか言われ続けるだけでそれがいったいどのようなことかはわからない。「じっとしてろ」「だまれ」と言われていることはわかるが、そんなことはすぐに忘れてしまう。
そして、子どもの頃は他人が自分とほぼ同じ感性や考えを持っていると信じ込んでいる。学校もそれを前提に運営されている。ふつう思春期を経て大人になることにより、多くの人が自分がそのタイプであることを知るが、子どものときにはわかりようがない。
「なあんだそういうことだったのか」とやや脱力もするが、同時にこのことが子どもの時によく分かっていたら全然別の人生になっていただろうとも思う。ちなみに多動症についての本を読んだ我が同居人には、「やっぱりビョーキだったってわけね」と言われた。
「多動症」というカテゴリーを子どもに説明して了解させることは困難であるし、たとえ了解したとしても子どもは意識的にそれを変革することはできない。それは絶えず注意していることになるから子どもには無理である。ということは親がそれを了解して、それなりの長所を潰さずに自分自身の気質を使いこなせるようになる視点を持って教育環境設定することが大切になってくる。
いつやろうがかまわないが、とにかく自分がしなければならないことをはっきりさせる。
いつもやりたい「趣味」があるようにする。
読書の習慣を付ける。
人の邪魔をするのはイケないことであることをはっきりさせる。
そして、「多動」を「アクティブ」の証と信じさせながら、自分が人とその点でやや異なること、人は自分とはちがうことを徐々にわからせて、多種のことを同時にこなす人間を目指す。