芭蕉『奥の細道』を音読指導する時に、初めての生徒たちに、芭蕉が1644年に伊賀の郷士階級の次男として生まれ、身の周り役として仕えた藤堂良忠とともに松永貞徳系の俳諧を学んだが、主君の早世後に京都で学び江戸に出たことなどを説明するが、その師の名前が「北村季吟」であることまでは伝えることがなかった。
放送大学でおなじみの島内景二氏が書いた『源氏物語ものがたり』(新潮選書)を読んだ。
この本は帯にもあるように「紫式部に取り憑かれた9人の男たち」、藤原定家→四辻善成→一条兼良→宗祇→三条西実隆→細川幽斎→北村季吟→本居宣長→アーサー・ウェイリーの業績がいかなるものであったのかを伝えるものであるが、戦国時代の細川幽斎と宗祇以前は、皆上級貴族か皇室関係者である。貴族しか読み書きができなかったのであるからあたりまえのことだったかもしれないが、鎌倉を経て室町に入る頃には多くの人が文字を修得するようになってきたものと思われる。
宗祇は出身階級不明の人物であったが、一条兼良に古典を習い、さらに美濃城主東常縁から、二条家に伝わる「古今伝授」を受け継いだとされる。それが細川幽斎に伝わって完成されたものになったと言う。
「古今伝授」とは古今集の読み方を示した口伝乃至は秘伝文書のことで、筆者はこの「口伝」のところに一音一音読みがあったと考える。
さて、島内氏は源氏物語の熱烈なる研究家で、しかもその奥様の島内裕子氏は同じく放送大学教授で、『徒然草』がご専門の方である。筆者はこの人ほど美しい声で上手に古文を読む先生はいないと思う珍しい人である。
『逝きし世の面影』の作家渡辺京二氏と、『苦海浄土』の作家石牟礼道子と言う、極めて知的なカップルを思い起こすが、中原洋・道子夫妻同様、密かにこう言う人たちを羨ましく思う自分がある。
芭蕉の師である北村季吟は、細川幽斎の弟子の松永貞徳に「古今伝授」を受けたが、膨大な著書を残したこの人の代表作が、画期的な源氏物語の注釈本である『湖月抄』で、この「原文上下3段組み」のスタイルは、後に岩波の古典大系本に代表される原文傍注スタイル本の嚆矢となった。つまり、季吟の『湖月抄』によって、一般の人が自分で源氏を読むことができるようになったのである。
俳諧を完成させた芭蕉の師にして、源氏物語を一般へと解放した季吟は、綱吉側用人の柳沢吉保に重用され、これに「古今伝授」を行い、『古今集』の和歌の六分類に基づいて名庭駒込六義園を造成することにも協力した。
今度からこのことを生徒たちにもしっかり解説するようにしよう。
『源氏物語ものがたり』はお勧めの一書である。