今回参加した小中学生たちは、皆「常連」で、すでに何度も焚火をしたことがあるものたちばかりである。
彼らは火のそばにいるだけで退屈しない。それどころか辺り一面の緑の自然環境に囲まれたところで、都会の疲れを癒しているのかもしれない。自然と焚火があればどの子どもも活性化する。最近、元気がよい男の子の母親がうらやましがられるということだが、こうして焚火をやれば誰でもそれなりに元気が出るというだけのことだ。カタカムナ音読法もそうだが、こういうことを上手く伝えられないところが筆者の至らぬところなのかもしれない。
高校生たちの割った薪を火にくべて団扇で扇ぐ。火を団扇で扇いで大きくする-これは火を前にするとほぼほとんどの人が、子どもから大人までし始めてしまうことである。
午後7時半。
完全な暗闇の中での焚火の炎はいよいよ冴える。
焚火のところだけがやや明るい。
何もしなくともただただた燃える炎を眺めているだけで時間が流れて行く。
しかしそれはモニター画面に向って一部痺れてボワッとしているようなアタマの状態ではなくて、アタマの芯からクリアーに覚醒している状態なのである。
火は私たちをリフレッシュする。
逆に言えば、本来我々は火に接することがなければ生きられない。
だから、私たちは子どもたちに火の体験を与えなければならない。
読者もこの夏チャンスがある人は、ぜひとも子どもを焚火に連れて行く機会を作って欲しい。
こうして、夜9時近くまで焚火を愉しんで、「宿舎」に移動して、夕食のゴマだれキュウリ蒸し鶏そうめんをいただいたが、本日も5時起床、一日焚火の準備と子どもたちとの付き合いでクタクタ。もうもたずにそのあとのことはわからず眠りに陥ってしまったが、子どもたちは生まれて初めて寝ることになった屋根裏部屋で、朝まで騒いでいたらしい。
午前5時起床。最近明るくなると目が覚めてしまう。
これから多動症、散歩瞑想荷物片付けとするが、何せ人の家、することがない。
仕方がないので、買ってきたドイツパンで朝食用レタスハムサンドウィッチを作り始める。
ドイツパンは、吉祥寺のリンデで2本購入。
ハムは、西荻もぐもぐで「切り落とし」を3パック購入。
7時を過ぎると徐々に人が起きてきて、サンドウィッチを食べる。
7時半になると、まるで学童疎開の丸刈りで陽に真っ黒に焼けた小学生が顔中に大粒の汗をかいて起きてきて、「あそこは暑くて寝てられん。まるで蒸し風呂」と言う。次々と小中学生が起きてくるが、皆汗まみれである。家の最高部屋根の真下では、日が照り始めればたまったものではないであろう。ジュースとサンドウィッチで朝食。
ここで農家朝摘みのラズベリー。
甘いが同時にシャープに酸っぱくて、食べるとキンとして眼やアタマにくる感じがする。
これ一つを食べた子どもたちは、
「うっ、これ酸っぱい。だけども、すごく美味しい!」
いつも感じることだが、焚火をする子はえてして味覚がまともである。
これは感性が良いご家庭の子が焚火に来ているのか、それとも焚火をするから感性が良くなるからなのか、どちらかわからない。
四方から手が伸び、どんぶり一杯あったラズベリーは瞬く間に彼らの胃に収まった。
この後スイカの提供も受けたが、この子どもたちを焚き火に連れてくる活動は、農家協力がなければできないことであった。
関係者各位に感謝する。
一応continuedとするが、実はもう明日には今度はまたまた奥多摩清流での焚火なので、そのことの準備でアタマがいっぱいで書けそうにない。
