桜に比べて、藤は咲いているところが少なくて、しかもあっという間に終わっちゃうので、いつもより自転車通勤を大回りすることになる。
それにしてもこの季節、次々と連続的に花が咲くので、目が楽しめることこの上ない。どうやら花粉も去ったようだ。ケヤキの新緑も充分美しい。
もうすぐ風薫る五月。一年で一番気候が良いときを迎えるようだ。そろそろ野菜の作付けをしなければならない。
受験が一段落した春は、例年やや暇になるものではあるが、今年は教育相談をはじめとして、個人指導などで忙しさが絶えなかった。
教育相談は、学習法の相談や「気合い入れ」のご注文である。
個人指導は、音読を主体とした国語指導が多い。
このブログの読者は驚かないだろうが、初めての人には、「日本語古典が音読するままで了解できるようになります」というと、ほとんどの人が「ホンマかいな」と思われるらしいが、ホンマですねん。
日本語を古代からその主たる作品の主要部分を一音一音音読しながら現代まで読み切る。
こうすることで日本語読解の最良の能力ソフトが入力できる。
まずこれがなければその先がない。
これは国語だけではなくて、あらゆる学習の土台である。
しかもだれでもできるから自己の能力についての自信がつく。
やった人は誰でも分かる。
日本語の文化環境が低下した中で、すべての子どもが小学校低学年の時に経験しておくべきものーそれがこの音読法である。
まず母音における口の形と音の出し方を決定する。そして、それを各子音につけて発声練習を行い。日本語の48音の音と口の形を決定する。
その上で、日本語古典を一音一音切って読んで行くのであるが、初めてやるとこれを意識的にやるのは意外と難しい。つまりそこにはそれまでに使われていなかった、きわめて基礎的な能力の開発がある。それは、サルではなくて人間の子どもにしかできないが、すべての人間の子どもができることなのである。
今年は、男女とも、割と耳の良い生徒が多く、皆どんどん先へ進んでいる。
とまれ、音読指導は本当に疲れる。しかも腹が減る。二件やるとその夜は熟睡できる。
すでに終えて、作文や記述回答訓練に入っている者もいるが、なんと毎回物語作品を書いて持ってくる者までいるのでなかなか気は抜けないが楽しくもある。
私は今教えている生徒たちを、これまでにないほど国語力が向上するようにする指導法を密かに画策している。
それは実はリベラルアーツの中で学んでいることかもしれない。

