やっと腕の痛みが治まりつつある中、今日はV-netの春のパーティーで、「子育て受験の前に知るべきこと」と称して、普段本に書けないことを中心に講演させていただいた。
花粉による大脳活動減退で、準備不足の内容不備で、放送大学の先生たちのようにはうまく語れなかったが、伝えようとしたことがそれなりに伝わったであろうという「手応え」はあった。
パーティーでは、それでも狭いスペースに満杯の有様であったが、もっともっと多くの旧生徒たちの顔を見たいと感じないわけではなかった。それでも何名かの旧生徒たちと話すことができたことは教師としてこの上ない喜びであった。
デカい!
子どもはどうしてこうもすぐ大きくなることだろうか。
そうしてその成長は美しい。
でも、ここで是非会いたいと思う何名かに会うことはできなかった。
各々事情や予定があろうが、こちらが一方的にその成長を確認したかった生徒たちの中に会えなかった人たちがあることは自分勝手に「残念」である。
とはいうものの、便りのないのは良い便り。
みんな元気でやっていることと想う。
会えなかった諸君に、この場を借りて言えば、僕も元気で活動しているよ。
そうして、「活動」という言葉の意味が、本当に伝わっていることを信じているよ。
キミタチは、「善き存在」となりたまえ。
世間世の中に寄与する存在となりたまえ。
自分たちだけのことを考えるなんていうケチな考えに至りたもうな。
我々は、「他者」のために活動する。
「他者」のために存在する。
そのことを忘れてはならない。
それは「宗教」以前の、人間社会存在目的的自明の原理である。
我々は、他者との関係性の「中」に生きる。
そしてそれは、他者に善きことをすることを追求することになる。
V-netの生徒諸君よ、いかに「他者」にとって善き存在であり続けようするかのことの考察を貫き通して欲しい。
それが哲学のすべてだ。
その上で好きに生きる。
「稼業」と「活動」を明確に分別する。
この考えが分からなければ「ヴォランティア」なんて微塵もない。
他人の稼業と活動をバカにしない。
皆それなりに一生懸命生きていることを深く理解する。
でも自分の貫きたいことはやり通す。
そういう人に幸あれ!
以上を書かせたのは、本日のパーティーのエネルギーの総体効果である。
多数のご協力とご参加に厚く御礼申しあげる。
Good night.
ps:お手製の栗御強、かつて食べたことがないほど美味しかった!