殻貝 ( by Joker ) | JOKER.松永暢史のブログ

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一日おいてまたベーコン展に行って来た。
家で火曜日に買って来た画集を眺めていると、どうしてももう一度そこで行われていることを自分の目で確認したくなってしまったのである。特に最後の部屋の三幅対で行われていることに抑え難い興味がわいて来たのである。だいたいから、見たばかりなのにわざわざもう一度見たくなるという絵が滅多にあるものであろうか。そのことだけでもベーコンのやっていることがいかに価値が高いか分かると言える。
不思議である。自分がなんでこんなにもベーコンの作品に魅かれるのか言葉にすることができない。
強いて言えば、「生得的なマゾヒストやホモセクシャルの感性を持った人たちが、自分をノーマルだと疑っていない人たちに向けて、ふざけていたずらをしかけていることを楽しんでいるーからかわれることを楽しんでいる」とでもいうのであろうか。いや、これでは到底正確に言い当てていない。
私は最近自分で文章を書いているうちにおかしなことに気づく。
私こそ「Joker」を名乗り、記述を「冗談」で行っているものであるが、そこで行われる「冗談」がこれまで一般の「冗談」ではないことは読者もよくご存知の通りである。
私はなぜか文章を書き始めるが、それはほとんどの場合、どんなものを書こうか決めていない。技術が全然足りないが、普通の人が読んだ場合オカシな反応が得られることを目的にはするが、それがどんな反応になるのかは想定しない。いや全然しないわけではないが、敢えてそこに意識を持たないようにしている自分がある。
意味を記述しようとするのではなく、結果的に意味があったかのようなものになるように記述してみたりする。
早い話無責任な遊びをしているわけなのであるが、どうもこれと似たような意識が巨匠の作品に感じられるような気にさせられるのである。天才と自分を並べて考えるなどとは実に愚かなことだが、どうして自分がこれほど一人の作家に魅かれるのかを考えるうちに、「冗談」に行き着いてしまった。意味なんてない。デュシャンもいた。もし芸術の本質の一方が「冗談」であるならば、「冗談」が分らないものは愚かな「過去の産物」であることになる。もちろん日常のごく一部の限られた時間内においてであるが。事務所で子どもたちに「ベーコン観て来た」というと、「何それ肉屋で?」とマジで返される。これはここに冗談で記すのもつまらないことだった。ふざけることはからかうこととはちがうことなのである。
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