シャワー照射 ( by Joker ) | JOKER.松永暢史のブログ

JOKER.松永暢史のブログ

教育相談、執筆・講演依頼は松永暢史公式サイトよりお願いします。

執筆の合間に行った風呂屋の洗い場で、隣の白髪カッコいい62歳男とその向うの68歳管理職退職の元サラリーマンが、何か軽い言い合いをしている。見ると、68歳はその右手でお湯がゆるく出たシャワーを62歳に向けている。68歳は、頭を洗っている私にも軽く目線を送って、目を細くして穏やかな口調で、「だからね、こうやって隣に気遣いなく、シャワーを使うことはやな感じでしょ」と言う。隣のシャワーがかかったことに対してそのデリカシーの欠如を仕返しをすることで注意しているのである。かけたことにされた側の男は、「ハイハイ」と穏やかに応じる。しかしことは、あたかも加藤茶と志村けんのコントのようにうち運ぶのである。
退職サラリーマンがもう一度やった。
何をかって、隣に故意にシャワーをかけることをである。
またちょっとかかったらしい。
「ねっ、嫌な感じでしょう。こうされるのは、アンタはそれを意識せずに他人にしているのよ」
「あのね、別にワザとやっているわけではないんだけれども。それに、風呂屋で隣に多少水がかかっても、そんなに繰り返し怒ることもないと思うんですけどもね、かけたことはまことにすいませんが」。
この二人は、それなりに社会的地位のある方達らしく、激怒することがない。でもって不愉快の与え合いになる。
その一方がわざとちょっと、そのスネあたりにシャワーを飛ばすのである。
するともう一方が、「アンタ今シャワーを飛ばしたね」と相手の肩あたりに軽くシャワーを飛ばす。
「これは失礼しました。でも今、あなたワザとやったでしょう」
こちらも負けていない。
「最初にワザとやったのは僕ではない。ワザとと感じさせるのを意識的にやったのはあなたの方が先だ」
「ふ~ん、そうですか。そう来るわけなのね」
ここでシャワーの掛け合いになれば、私も喜んで、シャワーを冷水にして参加してしまうところだが、つまらないことに、もくもくと体を洗う作業をして聞き耳を立てたまま沈黙する。
そこで、私は立ち上がって、空いてる洗い桶を両手で二つ掴んで、軽くスコンと二人のアタマを後から叩く。
秘かにそうしたらさぞかしオモロいとは思うが、さすがにそれは実行できない。
体罰は「禁止」である。
私は、いつも風呂屋にいる様々な人を見ると、その実生活を思い浮かべながら、「でもこの人たちは、私同様にお風呂が好きな人たちなのであろうな」と思ってしまう。
二人は黙って別れた。
風呂から出てデスクに戻り、ネットでニュースを見ると、アジアの同じ人々、レーダー照射した照射しないで騒いでいる。
馬鹿馬鹿しいので仕事に戻る。
ウナギ稚魚が捕れない方が事態は深刻である。
東シナ海に面する国は、ウナギ黒潮文化のために、相互協調するべきではないか。
いかなる豪華中華料理があるとも、ウナギ蒲焼きのご飯とタレの絶妙な調和を美味と感じないものはあるまい。
「ひつまぶし」はその文化的頂点である。
しかし、年に数回、東京で食べるウナギは他に代え難く美味である。
これを子孫たちが味わえなくなるのは「悲劇」ではないか。
東シナ海ウナギ文化連盟。
日本、台湾、中国の協力により、この特殊文化を存続可能とさせてもらいたいと願う。
同時に、ウナギの生態解明と、その人口養殖並びに、その自然環境背後にある「真実」の解明を我が国の科学力で実現して欲しい。
諸君、魚を、ウナギを増やす方法を見つけられれば、ノーベル賞どころか、大金持ちになれるのである。
蛍の尻はなぜ光るか、ウナギはなぜ回遊産卵するのか。
それが明らかになることは、価額を超えたものになる研究課題であろう。

春しらす 夕なぎちどり たがゆかば 筆まぶしつつ キモも生かさむ (冗兆)

後の世代のための努力が正しき社会。