努力を躊躇する男たち( by Joker ) | JOKER.松永暢史のブログ

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神奈川県から通う中3生徒に共通の問題が生じている。
受験校決定の際に、本人の学力よりはるかに劣る県立高を第一志望にして、親を驚かせるケースである。
両者とも母親がしっかりした一人っ子で、「友達と一緒の学校に行く」というのがその共通の理由である。
これは何も、彼等だけの問題ではないだろう。
「草食化」の原因は、友達とよく遊ばずに男性ホルモンが充分に出ないからだと私は考えてきた。
しかし、どうもそれだけではないようだ。
「草食化」が自分から女性を求めないことだとすると、そこには微妙な心理が見え隠れするようだ。
男の子たちは、メディアで可愛い女の子をいくらでも味わえるから、生身の女の子たちとつき合う必要性がない。
強い女の子たち、理想の高い女の子たちは、周囲の男の子をバカにして受け付けないことが多い。
大切に育てられた男の子たちは、自分が傷つくことを極度に怖れる。
だから、コクって振られるのは絶対に嫌であるから自分から女の子に声をかけることはしない。
コクるのは女の子ばかりである。
それも特定の男の子にばかり。
終いには、不特定多数の男の子たちは傷つきたくないばかりに、身近な女の子への関心を弱める。
この自己防御心理は、受験においても現れる。
「勝負」を避けるのである。
何とダサい連中であろう。
でもしかたがないのかもしれない。
世には「情報」が多過ぎる。
特に受験については、母親たちの間で話題になり過ぎる。
そこで、男の子たちは、自ら選んで低めの学校を志望し傷つくことがないようにするのではないか。
失恋、不合格、いじめ、その他、若い間の失敗の体験は全て大人になってからの力の源泉である。
特に男の子はひどい目に遭わなければ一人前の男にはなれない。
傷つかないために、努力を惜しむ。
努力したのに失敗したのではなくて、あまり努力しなかったけれど「失敗」とは言えない結果を求める。
何と愚かなことであろうか。
長い人生から見れば、受験なんて小さなこと、大切なのは、努力した経験と、失敗した経験。
だから、いずれにせよ、最大限の努力をすることが正着になる。
このことが分らないのであれば、既にかなりアタマが悪いことになるので、将来、人生の本当の失敗である大きな「後悔」が待ち受けることになる。
成長もできず、結婚もできず、自己実現もできない。
40過ぎてこれを知っても遅い。
最近ヘレンケラーを研究しているが、彼女の言葉にこういうのがある。

・Life is either a daring adventure or nothing. Security is mostly a superstition. It does not exist in nature. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure.
 人生とは恐れを知らぬ冒険であるか、あるいは単なる虚無でしかない。いわゆる安全と言われているものの多くは迷信でしかなく、自然には存在しないもの。長い目で見た場合、リスクを避けることはリスクに挑むことよりも安全とは言い切れない。

・We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
 もし、世界に喜びしかなかったら、勇敢になるとか、忍耐強くなるとか、学ぶことは決してなかったでしょう。

努力を躊躇する男たちに投げつけてやりたい言葉だと思わないか。