B層と選挙 ( by Joker) | JOKER.松永暢史のブログ

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●7:28に新月、☆19:22に近地点、妙にだるいが何かが起こるはずと思っていると、衆院が解散、12月16日に総選挙ということになった。
意外なほど早く感じるので、「近いうちに解散」と言っていた野田首相の言は正しかったことになる。
今国会でも、筆者が『この国をダメにした学校教育』で「もう学校教育は良くならない」と書いた通り、教育についての本質的な改革案は政府からも財務省からも文科省からも全く出ないままだった。
いやそう思うのは、我々がまだまだ「B層」である証拠である。
B層をコントロールするA層は、B層が賢くなるような教育なんて全くするはずがないということをしっかり認識しなければならない。
小中高生は未だ「B層」である。
いったいこの世の中で何が起こっているのか、大人同様さっぱり分らない。
彼等の中には、学校は、「耐え難く面白くない」、「学校なんて行ってられない」、「何の役にも立たない」といった声がいよいよ本格的に強くなってきている。
反抗のあり方も、親に向けてというよりも大人社会全体に向ける傾向が強くなってきていると感じる。
彼等には、それを乗り越える未来哲学が必要であるが、そんなものは誰も与えない。いや、持っていない。
経済界も、政界も、メディア界も、エリート官僚群も、法曹界も、彼等の目には、世の役に立っていないウソばかりつく卑しい連中に映ってしまう。
愚かなものの中には、それを理由に勉強をサボることを正当化する心の弱いものもいるだろう。
福島原発への対処、またそこに至る政策、沖縄基地問題の不解決、簡単に米国に屈する政治家、結局できない官僚機構改革、財政改革、そしてもちろん教育改革。できることは約束を破って開き直ることと税を増やすことだけだったと言っても良い。そして今振り返ると、こういう結果になることを与野党政治家たちがお互いに予め容認していたように見えるからやっていられない。
では、すでに選挙権を持つ20代の若者たちはどのようにこの状勢を眺めているのだろうか。
私の知る限りでは、それは諦観と無視である。
彼等には、もうこれまでの大人はどうにもならない、かといって闘う気にもならない対象である。
「もう勝手にやってて下さいという感じ」。
「これだけ長い間、自己の立場と利益だけを考える大人達にはたぶん先がない。僕たちは彼等と無関係に生きて行く」。
会社に入って真面目に働く若者たちの多くは、低賃金で仕事をさせられ過ぎていることに怒っている。
だから辞めるものが多い。
辞めるとどうするのか?
それは自分のやりたいことを第一にしてその上で両立する仕事を考える。
芸術活動を行う。世のためになるボランティア活動を行う。
で、彼等は口を揃えていう。
「もう選挙なんて行かない。行ってもなんにも変わらない。大人が勝手にやっていれば良い。僕たちには関係がない」。
彼等は「B層」ではない。
なぜなら、自ら本を読んで考えて行動しているから。
こうした若者が増えることは、既得権益の上に生きる人たちにとっては恐ろしいことだろうが、この変化の時代にあって自ら方向性を決定して変化していこうとする若者たちにこそ、今後の期待がかけられると思うのは私だけではあるまい。
どうも、適菜収の思い描く階層社会とは別の「階層社会」が来るような気がしてならない。
私も、幸島のサルではないが、若者にならって、一度選挙に行かないことはどういった認識を与えるのかを試してみたい。
実は今度の選挙は政党ではなくて人を選ぶ選挙になるのではないか。
私は、自分の判断に自信がない人は選挙に行かないことが正しいのではないかとも思う。
また、ある意味で、その判断をする瞬間に「B層」から抜け出ることになるところが面白い。