夏の家族旅行の体験作文=体験した出来事の時系列的再構築の訓練の演習が続いている。
体験したり、見聞したりしたり、読書したりしたことを自己の文章で再構築する。
一般に、この訓練は、滅多にその機会に恵まれないが、家族で旅行したことによるそのエネルギーこそがこれを可能な次元とする。
子どもたちに聞くと、それは、とどのつまり、「楽しかった」という強い印象に尽きる。まだ親になったことがないから、これを実現した親の気持ちはわかるべくもないが、そこには将来親に感謝することになる「種」がある。
子どもを旅に連れて行くとは、将来のための種を得ることである。
子どもが自分では選択できない非日常の体験をもたらそうとする親。
この象徴に「焚火」がある。
それは、塾の広告や世間の動向に流されるのではなく、自らこうしたら子どもに良い体験をさせることができると想起した結果の工夫である。
私は、この「想起」を評価したいと思う。
このことは金の問題ではないが、親が取れる休暇の問題ではあろう。
しかし、そこには安くあげようとすれば、いくらでも方法があろう。
できるところに行って焚火を体験させるだけでも良いのだ。
たとえば、単なる「帰省」が目的であろうとも、かえってその地域や通過点についての体験と知識をフィードバックさせる絶好の学習機会に変換することができる。
実を言うと、私が最も後悔するのはそのことを自分の子どもにはほとんど与えなかったことである。
上にはまたその上がいることは良く認識するが、一種の旅の達人である私が、家族を旅行に誘えなかったことへの後悔は非常に大きい。
「勝手にやってくれ」というにも「限界」がある。
それには私の仕事上、土日休み無し、長期休みはかえって繁期、おまけにその他家庭の事情もあって、私は講演などの旅行でバラバラ。
私は子どもにすごく良いことを沢山把握しているのに、本には著すけれども実際家族にはほとんどそれを与えない。「自分で気がつけ」と投げている。
結果、今これを書いている現在、娘は友人の公演の手伝い、息子はラグビー合宿(2度目)、そしてその母親は地域の活動とやらで家にいない。暑いがいつも通り扇風機を回す。日没前、「秋風」とはまだまだ言えないが、耐えられない暑さではない。
18日リベラルアーツ初級者コースは、論語『巻七憲問第14』。次回以降を視野に入れて、老荘思想について説明。加えて、中国の仏教受容に背後にそれがあることも解説。次回に実は法家思想の根本部分に老荘思想的認識があることを話そうと思うが、孔子と「隠者」の接触における「歯切れの悪さ」について議論した。以降は法家思想から『韓非子』の部分。そして老荘思想『老子道徳経』、『荘子』と読み進めたい。
リベラルアーツ上級コースは、ロックの後は、マキャベリやルソーではなく、順当にアダムスミス『国富論』と行きたいと思っている。
両者とも参加希望者はV-netまで。