「スッポンポン以上」-V-net発表会 | JOKER.松永暢史のブログ

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今日は近地点満月を絵に描いたような印象を与える日だった。
この世に、あの「焚火スッポンポン」以上の効果があるものが実在することを目の当たりにした日だった。
それは、V-netの生徒たちの創作発表会だった。
火山先生脚本演出直伝指導の、故センダック原作の『Where The Wild Things Are-邦題「怪獣たちのいるところ」』の英語劇は、教師として、一観客として、この宇宙で最も深い存在の歓びを与えるものだった。
文学的傑作の中に原文で入り込む。
思わずダイアローグする。
—これほどの手っ取り速い言語/芸術基礎活動があろうか?
この子どもたちに幸いあれ!
小6の彼らの英語感覚はすでに高2レベルを凌いでいる。
「セミノールオレンジ=天然クエン酸」。
なんでこれを学校で与えないのだ!

後半の文学小品発表会も見モノだった。
たとえ大人の会であっても、自作自演して作品の優劣を競う’competition’は、通常日本人の会ではめったにあり得ない体験だろう。
しかし彼らはそれをやった。
スッポンポン飛び込み!
でもそこには「同様」の芸がある。
これは作文発表会ではない。
「創作発表会」である。
つまり「芸術」である。
これには優劣をつけ難かった。
各人各様の才覚と「世界」がある。
「点」ではなくて、「ひとつ」を選ぶことの方が’fair’であることを面白く思う。
事後に、「なんでボクに賞を与えないのか」と憤る少年の攻撃を受けた。
私はこの「テストステロン」にこそ、「賞」を与えたいと思った。
でも、「反省」も必要である。
自分より才能的に劣ると思われる人物に「賞」が与えられる現実とは、自己の部分的不完全さを暗示する。
このことを捨象すれば実は自己を主張する「権利」がない。
ダメだったらそれにこだわらずにまた別に「ブラブラしている自分」に別のものを見つけるが良いのだ。
その「寛容さ」が人間には必要だと思う。
「ゆとり」とは心のゆとりである。
だからこそ、鳥の様に無限の空に飛び立つ夢を見ることができる。
私にとっては、今回の経験は、「アウトサイダー」が「バリアー」を失う経験だった。
抑圧からの解放。
自ら発する「表現」。
ともに作り続ける他者がいることを伝える快感ほど人間的なものはないと思った。