金があってそれを目の前のギャンブルに投じなければならない時、より資金の豊富なものは負けない方に賭ける。これは、素人には分り辛いが、実はあらゆるギャンブルの「極意」なのである。ないものは多く稼ぎたいが、あるものはしぶとく資産を連続したい。ある者が遊びで大儲けすることは、ない者が必死で闘うより勝算が濃いのは「常識」である。
世の中には「負ける者」がいる。逆に間隙を縫って勝利する者がいる。
しかし、「勝つ者」とは、「負けぬ者」なのである。
「負けぬ」とは労力が少ないということであることと同等であることが多い。
「意外性」は別である。
「勝敗」は、究極綿密な「知恵」の集積で決定される。
これが了解されない者は、「運」に左右されることに身を委ねる者である。
だが、勝つことには大した意味がない。
勝つことには「快感」があり、負けることには「後悔」があるが、勝つことが必ずしも「幸福」に結びつくとは言い切れないのが「天の采配」である。
言うまでもなく「最低点法」は、「負けぬ」ことを主眼としたメソッドである。
そこには個人の「意志」と「営為」への期待が否定し得ない。
個人の営為にとって、新しい環境を得るために「勝つこと」は、どんな場合でもポジティブなベクトルを持つといえよう。
受験において、勝つこと=負けぬこととは、勝とうが負けようが個人の成長を実感することである。
受験結果が目的ではない。受験を前にしての個人の成長が第一義なのである。
このことを了解できない者は、うぶな因果論的解明に明け暮れる。
とか書いておったら、天敵バカ息子に声をかけられてベランダで月食を見る。
寒い!
師走の満月月食は、まるでしなびて小さくなったようなオレンジの月影を見せる。
実は私は知る人ぞ知る月の専門家なのである。
来年からはウェッブサイトでの公開も始まる。
皆既に近づく月は、限りなくその実態を暗示する。
「勝敗」は点滅しているところにある。