グラウベル•ローシャ(byマッツ) | JOKER.松永暢史のブログ

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Glauber Rocha(1938~1981)は、ブラジルの映画監督。渋谷のユーロスペースで、『黒い神と白い悪魔』(1964)、『アントニオ•ダス•モルテス』(1969)、『狂乱の大地』(1967)の3作を、この順で先週三日間連続で観た。
『黒い神と白い悪魔』(モノクロ1964)は、牛の買い取りの値段をめぐって地主を殺して逃げた貧しい牛飼いが、ブードゥー的要素を併せ持つ黒人神父の教団に入って活動するものの、その異教的言説と儀式についていけない彼の妻が神父を殺し、さらに逃げているうちに反政府軍に加わり、そこで殺し屋アントニオ•ダス•モルテスによって指導者を殺され逃げのびていく姿を描く。
その姉妹編である『アントニオ•ダス•モルテス』(カラー1969)では、初め地主に雇われるはずだった殺し屋モルテスが、反政府軍のキリストモデルの男を殺すが、「先生」と呼ばれる飲んだくれの知識人と2人で、さらに地主側に雇われて農民を皆殺しにした武装集団を、マカロニウエスタンよろしく全滅させる。
その間に撮られた『狂乱の大地』(モノクロ1967)は、ローシャ自身が「何よりも重要な作品」と語る作品であるが、詩人でジャーナリストの富裕な青年が、「人民」のためにその代表者として政治的アピールのある男を担いで大統領にする活動を展開するが、黒魔術的なキリスト教信仰を持つ右派政治家と、それを利用せざるを得ない資本家が、USAと目される「国際開発」の力に負けてどうして良いか分らない状況に陥っておそらく死を迎えるという話。
何をしても渾沌たるブラジル大地は変わりようもなく、指導者の非正当的キリスト教かぶれ、大衆の無知無蒙、インテリの無力、資本主義的方向性の圧倒的な強さ、なすべく何ものも有り様がないどうしようもない有様をそのまま画面に叩き付ける。圧倒的な音楽とゴダールの影響を色濃く受けたモンタージュ。抽象絵画が大好きな私には極めて胸に響く作品群だった。
面白かったのは、『黒い神と白い悪魔』では、ラストシーンで、ともに走って逃亡する妻を振り切って男が走る姿が映し出されるが、『狂乱の大地』では、愛人で反政府主義者の女性が倒れた詩人ジャーナリストをあとにして歩き続けると言うラストシーンになっているところか。
ともあれ、どうしようもない渾沌を抽象構成しているところに味がある。退屈して眠気をこらえている人が多いのが不思議だった。1980年作の『大地の時代』(カラー)を見逃したのが残念だったが、今週から横浜でやっているというので見ようか見るまいか迷っている。
私は実は、大衆を自分たちの視点で誘導しようとする色彩が濃いテレビはおろか、ハリウッド的映画などの映像作品をほとんど見ない人間であるが、極めて珍しいことに灼熱の最中毎日渋谷に足を運んでしまった。久しぶりで乗った井の頭線車中で、ほとんどの人が携帯かスマートフォンかゲーム画面に向き合うのを目にして、不思議と映画の内容がダブったような気分になった。
自分がこうしている間に、政府から逃げろと言われなかった福島の子どもたちが外部そして内部から被爆し続けていること、本当に詮方なき気持ちに駆られた。
高学歴者が大衆を下に見て、自己のつまらぬ利益のことだけを考えて、これを積極的に騙し続けるのは本当に情けないことだと感ぜざるを得ない。人をだますことも人に騙されることもどちらも嫌だ。
騙されない人を育てることが教育の本線だとあらためて思われてならない。