今回は,人間の思考方法,特に判断の下し方について考察する。
以下,必要であれば,『コーラン(上)』(井筒俊彦訳 岩波文庫)を適宜参照されたい。
同日のリベラルアーツにおいて,人がどのような考えに支配されているのだろうか,それを解凍するにはどうすればよいか,といった問題が話題となった。
この問題を分析するには,人の持つ判断基準を明確化することが極めて役に立つ。
その判断基準を変えることにより,ある事項についての判断が容易に変わりうることは,以下の例から容易に理解されよう。
『コーラン』においては,断食が必要とされている。
以下は筆者の推測にすぎないが,『コーラン』の支持者は,その指示通りに断食を行うであろうし,その支持者から見れば,一日三食の習慣化を求める栄養学は,奇異に見えるであろうから,彼らは一日三食を習慣化しないであろう。
逆に,一日三食の習慣化を求める栄養学の支持者から見れば,イスラム教の断食は,生命維持には危険と判断し,彼らは断食を実行しないであろう。
どのような判断基準を持つかは,各自の人生観の問題であろう。
ただ,ここで強調しておきたいこととは 判断基準の主体的策定及びその基準に基づいた主体的判断は,人生を激変させるということである。
他人の言動に,いちいち振り回されなくなる。
筆者の体験を述べてみる。
「なるべく買う」ではなく,「なるべく買わない」を判断基準に持てば,さて,何を入手できるか?
私は,昨年の秋から今年の春先にかけて,インフルエンザワクチンを接種しないでみた。
どうなるかと思いきや,以前は接種しても罹患してタミフルを服用したのに,少食を習慣化した今年は,接種しなくても罹患しない。
「必要だと思っていたけど,この注射は,要らないじゃないか! 今後は一切打たないようにして,打たなくても済ませられる方法をきちんと説明しなかった医者とは,縁を切ろう! しかも,これで小遣いも手に入った! 超ラッキー!」
そう思っていると,突如,『インフルエンザワクチンはいらない』(母里啓子著 双葉新書)という書物に巡り合ったが,これは,ひょっとして,アッラーのお蔭であろうか?
以下,同書5ページより,私が強く支持する母里氏の卓見を引用しておく。
けれど,インフルエンザは,かぜの一種なのです。静かにじっと寝ていれば治る病気です。薬もまったく必要ありません。
演習1 以前の筆者のように,多くの日本人が,(インフルエンザワクチン接種に限らず)薬物療法を安易に選ぶ本質的な原因とは,どのようなものであると推察されるか?