リベラルアーツ『モンテ・クリスト伯』(4月2日)の手引き 曖昧(by Paul) | JOKER.松永暢史のブログ

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 今回は,『モンテ・クリスト伯(一)』(アレクサンドル・デュマ作 山内義雄訳 岩波文庫) 14章 怒れる囚人と狂える囚人 の一文を参考に,「曖昧」への対処法を探求する。

 まずは,裁判を受けずに逮捕監禁されたダンテスの言葉を熟読しよう。

 (…), car, voyez-vous, l’incertitude, c’est le pire de tous les supplices.
 なぜといって,あいまいということは,あらゆる苦痛のうちで,もっともつらいことなのですから。

 現在の私たちが,ダンテスの状況を追体験することは,事実上不可能であろう。
 万一,そのような状況に陥った場合は,裁判を強く求めることを忘れてはなるまい。
 さて,この一文から,私は,ごく平凡な日常生活においても,「曖昧なものは明確にせよ」というメッセージを強く感じる。
 適切な言い方かどうかが微妙だが,曖昧なものに苦しめられるとは,知恵の輪のように外しにくい,しかも自分とはピントの合わない眼鏡を誰かからかけさせられた状態で,物が見えにくい状況にいるようなものだと思う。
 では,そのはずしにくい眼鏡をはずすには,どうすべきか?
 私なら,あらゆる可能性を信じ,眼鏡を徹底的にいじる。
 ホンモノを自分の目で見るためなら,眼鏡をはずすための長時間の試行錯誤など,面倒とは感じない。
 むしろ,ニセモノしか見えない状況にいることの方が苦痛だ。
 ニセモノに甘んじる人生は,捨てたい。
 ところで,真実を得るまで,諦めずに試行錯誤を続ける心構えを育成するための方法とは,何か?
 私なら,自身の専門分野の一つである数学を選ぶ。
 今回は,具体的な問題についての学習方法の詳細には立ち入らない。
 あくまでも一般論としてだが,強く推奨するのは,反復学習による基礎固めをできるだけ早く終えてから,自分にとって,超えられそうだが簡単には超えられないレベルの問題を,「ああでもない,こうでもない」とうなりながら,じっくりと時間をかけて解くことだ。
 ここで大切なことは,どうすれば解けないのか,どうすれば解けるのか,という両者を自分の手と目で徹底的に確かめること,であると思う。
 この手法は,過去問研究を巧妙に裏切る学校,超ヘビーな問題を出題する学校,いずれにも,極めて効果的であると確信する。

 演習1 曖昧な表現を多用する人物に,明確な表現をさせるための巧妙な質問方法を,必要な古典を参考にしながら具体的にまとめよ。