文章記述能力(by未田武史) | JOKER.松永暢史のブログ

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「M・K」改め未田武史が記す。

一昨日、受け持っていた中3生から第一志望の都立国際高合格の知らせを受けた。この生徒は既に滑り止め私立校の合格を決めていたが、本人もご家庭も都立進学を希望していたので、私としてもこれほど喜ばしい結果はない。内申点が30点台前半と決して高いものでなかったことなども関係して、国語教科としては九割程度の点数が求められていた。合格できたということは、そのミッションをクリアできたということだろう。英語の上野先生、数学の梅本先生の尽力にも感謝したい。

この報せを受けて、今年もようやく受験期が終わった。毎年のことながら、「嵐のような」という形容に相応しい毎日であった。成果を収めた子供たちには心からおめでとうと言いたい。結果の全ては、君たちの努力の賜物である。一方、必ずしも希望した進路に進めなかった生徒には、私の力不足を詫びたい。力が及ばなかったところは、私の責任である。
だが、いずれの結果であったにせよ、今回の経験が君たちの人生の大きな糧となることを願ってやまない。

ところで、V-netで受験指導を始めて以来、強く感じるようになったことが一つある。それはいわゆる選択問題や抜き出し問題を多用している受験校よりも、記述解答を多く求めてくる受験校の方が、実際に自分の生徒が受験する際の点数を想定しやすい、ということである。事後添削により点数を割り出せるという意味ではない。そうではなくて、周到な準備さえしておけば、選択・抜き出し型の問題よりも、記述問題の方が普段の実力を出しやすいということである。つまり、過去問研究を行っている際に想定できた得点を、実際の試験においても取れる可能性が高い。
一般に国語の問題というと、選択や抜き出しの問題の方が容易であるという印象がある。実際、問題のレベルという意味では簡単である。というより、これらの問題の多くは、実は単なる間違い探しクイズか、宝物探しクイズの類である。
それに比して記述問題は、想像力、思考力、そしてもちろん記述力と、本質的な意味での国語力が要求される。こうしたことから、子供たちにおいても記述問題は敬遠されがちである。
しかしながら、ある意味当然のことだが、文章記述能力のような本当の国語力は、いったん身に付けば、簡単に衰えるものではない。つまり試験本番のプレッシャーにさらされても、練習時に比して大きく点数を失うことが少ない。何より完璧な解答を書けなくとも、部分点に救われるというパターンがありえる。実際に今年度、駒場東邦中に合格した私の生徒は、文章記述能力が十分に備わって以降、どんな筆記問題を解かせてみても点数が一定の割合を下回ることはなくなった。その意味で、国語、社会の双方で記述問題の多い駒場東邦に合格したことは、彼にとっては「当然」の結果であったと言える。
これに対して、選択肢問題はちょっとした判断ミスが命取りになる。試験の緊張からくる迷いや見落としによって、練習時には簡単にできていたはずの問題を簡単に落としてしまう。どんなに途中の思考法が正しくても、この種の「クイズ」にはマルかバツしか存在しない。結果として、選択肢問題の多い受験校を受けた場合、想定していた点数とはかけ離れた点数となってしまう場合もある。
もちろん、記述能力を高める指導というのは簡単なものではない。以前も書いたが、一人一人の能力に合わせた指導が必要である。大手塾によくある事後添削による「赤ペン指導」ではおのずから限界がある。しかし繰り返せば、いったん習熟さえしてしまえば、この能力は簡単には落ちない。選択式に対する能力向上にもつながる。
受験に際して国語教科を絶対的な「武器」とするため、来年度の受験生においても是非、この文章記述能力を十分に養ってほしい。