冬休みに入ってV-netはいよいよにぎやかである。受験英語の音読、現代文の音読、これに古文の音読、教師と生徒の議論の声が加わって、室内にこどもエネルギーが充満する。
とくに、週3回のサイコロ音読道場が開かれる時は大変な騒ぎである。私はできるだけ「避難」することにしているが、ビルを出てしばらく歩いても音読の声が聴こえるから近所にはさぞご迷惑なことだろう。
しかし、「あそぶこどものこえすれば、わがみさえこそゆるがるれ」(梁塵秘抄)であるから、かえって笑って許してもらえているのかもしれない。
ともあれ教えている先生たちはこれが終わったあと、皆不思議な脱力感を漂わせている。しかし、そこにはこどもと夢中になってドッジボールしたあとの教師の顔がある。こどもたちのエネルギーを受けてお腹いっぱいになっている姿である。
私たちは言う。
「これを毎日朝から午後までやリ続けている塾や学校の先生は大変だね。1時間半でクタクタなんだから、それ以上ぶっ通しでやるなんて無理だね」
「やっぱり外で思いっきり遊ぶことが足りないので、学校や塾など人が集まるところへ行くと爆発するんじゃあないのか。焚火の時もものすごいからね。何かしらやりっ放しだからね。学校は朝1時間以上運動させて疲れさせた方がいいのではないのか」
「おいおい、その運動の管理や相手は誰がするのかい?」
「そりゃ、教師さ」
「ハハハハハ、そりゃそれはそれで死ぬわい」
新聞では、公立校の教師たちの精神疾患のさらなる増加が伝えられた。
音読とサイクロンは、こどもの頭を本格的に活性化する。声が大きくなってアタマがはっきりするのであるから当たり前のことかもしれない。生徒たち全体の調子が上がっていることが感じられて嬉しいが、V-netで活性化したこどもたちが(すでに彼らからの言動では、「学校で口で負けることがほとんどなくなった」そうで)、学校でさらに活発になることがいささか恐ろしい。
道場では、来年から作文指導も開始するそうだ。アタマの回転が速くて言語了解に優れ、しかも何でも書けるこども、これまでのことを振り返って、考えてみるだに恐ろしいことだが、広く一般にメソッドとして広まることを信じて止まない。
教師をしていて最も楽しいことはこどものオモロさに触れることであるが、それが文章で表現された時の歓びはさらに大きい。