仏教とお葬式のこと(1)~ 宗教は“死んだあとのために” 信じるべきなの? | いま仏教があなたを癒す! 

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多くの人が生活に疲れ、仕事や結婚生活で悩み、病気や死への恐怖におののき救いを求めています。でも、仏教を知ることで何かが変わります。

私もそうですが、多くの人は「仏教」という言葉から「お葬式」を想像するのではないでしょうか? これは、ある意味では当然です。日本国内の場合、ある人が死んでから(その人の家族・親族が)葬式を出すときには、ほとんどが仏式になっています。

実際には日本国民のなかで仏教への篤い信仰をもっている人は少数派だと思われますし、他の宗教となるとさらに少数と考えられますが、お葬式に行くとほとんどの場合、葬儀会場で仏教僧が読経(どきょう)をしています。もちろん、最近では無宗教の形式で「お別れ会」的に行う方もいますから、すべてが全てということはないのですが。。。。そして多くの参列者は、僧侶が唱えている経の意味は知りません。

実は私の父は平成17年のお正月に亡くなりましたが、まったく無宗教でした。昭和4年生まれで、旧軍隊にも行かず-昭和20年8月時点では15歳のはずで召集はかからなかった-戦後にアメリカ的価値観の洗礼を受け、ジャズやハリウッド映画から大きな影響を受けて育った世代ですから、まあ当然です。

それに対して、父方でも母方でも祖父母は信仰の篤い人たちでした。特に祖母は二人とも熱心でした。父方の家は浄土真宗大谷派(東本願寺)で、母方は曹洞宗でした。時代背景から言っても、祖父母は明治30年代から40年代にかけて生まれた人たち、それに対して両親は昭和一ケタ世代で、おそらくまったく価値観が異なっていたと思います。

ちなみに、父は亡くなる前に、


 「葬式はしなくて良いぞ。坊さんも呼ぶなよ」

と私に言っていました。しかし結局はその時になって、

 「坊さんがいないと、
   うまく葬式が進行できないですよ」


と葬儀社の人に言われ、しょうがなく東本願寺系のお坊さんに来てもらったわけです。ちなみにいま、お葬式のときに葬儀社が手配するお坊さんはかなりの割合で “派遣”の人たちです。時給はかなり良いのでしょう、多くの坊さんが登録しているようです。

釈迦(シャカ=シャカムニ・ブッダ)ご本人は、葬式などには興味がなかったようです。もちろん、釈迦ご当人が本を書いて遺しているわけでもなく(聖書もイエスが書いたわけではないですからね)、本当のところははっきりしないわけですが、宗教の教えというのは、


   伝言ゲーム

に似たところがあります。弟子やずっと後世の人たちが勘違いしたり、意識的に変えたり~を繰り返して、さらに各国語に翻訳される段階での誤訳もあるはずです。

やや話が逸れますが、私たちにとって仏典(仏教経典)は漢字で書かれているものですが、もともと仏教は漢字とは関係ないインド文化圏で生まれたもので、漢字で書かれたものは中国人僧侶あるいは漢字のわかる西域の僧侶が翻訳したものです。

釈迦は自分の教えを文書化することを嫌っていたという説もあるようですが、とにかく彼はマガダ国の人だったので古代マガダ語を使っていたと思われますが、釈迦の入滅後に(死後に)パーリ語やサンスクリット語で彼の教えが整理されたようです。

釈迦が葬式という“イベント”を重視しなかったのは、おそらく彼がリアルに人の行き方と世の中を見つめる人物だったからではないでしょうか?


 『すべては移ろう』

~釈迦の最後の言葉はこうした内容だったと云われます。ですから、釈迦はむしろ死んだあとのことより~このすべてが移ろいゆく無常の世で、人はいかに表面的なものに惑わされずに生きるべきか~を考えた人だったと思えます。その立場からすれば、葬式などというのはどうでも良いことかもしれません。

どの宗教もそうですが、新宗教でもない限り教祖が本を書いているわけではないので、本当の教えがいかなるものかは明確ではないのです。ただ、私が大切だと思うことは、宗教とは死んでからのことではなく生きているうちに意味をもつべきだということです。

ですから、お葬式はあくまで遺された人々の思い(死者との別れをセレモニーとして心に区切りをつける意味)、お坊さんたちの営業上の意味、その他、いろいろな理由から盛んになって行ったのではないでしょうか。何しろ一説によると江戸時代の中ごろあたりまでは、庶民のお墓なんて土饅頭レベルですし、鎌倉時代あたりまでは、死者は河原などに放り投げていたのですから。京都の賀茂川の東側は死体を捨てる場所だったそうです。



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