不毛なるパラドクスの教訓。 | SPACE BOX

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放浪理系ラテンジャズミュージシャン碧川サヤカ(さかいさやか)のページです。
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放浪理系女史・ミドリカワです。


パラドクスといえば、物理学界隈・相対性理論における『双子のパラドクス』辺が有名かと思いますが。


今回は数学的なところで一部では知られたものを扱ってみませう。


命題:全ての人はハゲである。

主張① 髪の毛が0本の人は明らかにハゲである。

主張②ハゲの人に一本髪の毛を付け加えてもハゲである。

………よって、数学的帰納法により、全ての人はハゲである。


いかがです?それらしく見えて不毛なこじつけっぽいのは何となく感じられるのではないでしょうか。


科学的っぽい、何となく根拠ありそうな………という思考や事象の受け入れは危険なものなのです。

全ての人はハゲであるなら、ハゲという区別やコンプレックスなんてそもそも生まれませんし。


とはいえ、パラドクスとして命題を出した以上、その矛盾を打ち破ってみないわけにはいきません。

とりあえず、軽くいくつか考えてましょうか。


①何本あればハゲでなくなるのか。

一本、また一本………と増やしても、

それが何百、何千、何万と増やしてもハゲはハゲとは残酷。いつまでもハゲの呪縛から逃れられないとか、それはあまりにもキツイ。いっそ開き直れるならそうするしかない。

見た目に明らかにフサフサの部類まで到達しても、正しいと主張する根拠はいかに。


一本、二本の違いならまだしも。
ゼロと数万本では同じように見て良いのか………。

②本数だけでなく他の要素も絡んでくる。

ならばハゲ部分の面積がモノを云うのか。

いやいや、一部分だけというのもあるし、ある部分をクローズアップするとそこはフサフサとかあるし。


場所における密度によって、ハゲの有無は分かれど、その人そのものをハゲと呼んでよいのかどうかも判断に迷うわ………。


③そもそも数学的帰納法じゃないわ

数学的帰納法とは、具体例を示し、規則性を予想し、それが正しいと証明する技法です。

自然数に関しての命題がどんな自然数nに対しても成り立つことを示すもの………というもの。


自然数とは正の整数のこと。

0は含まれません。


帰納法の手順は高校の数学Ⅱで出てきます。

1)n=1のとき正しいと証明する

2)n=k(自然数)のとき命題が成り立つとき、n=k+1においても成り立つということを証明する

………これらがともに示されればOKです。


まて。

この命題のスタートは0本ではないですか。

一本からのスタートにしなければ………え?どっちでもハゲやん?

いやいや。そこは定義とスタート地点は大切。ここは敢えてしっかり区切りをつけましょう。


数学的帰納法を示したければ、波平方式で一本から考えていき、イレギュラーとして抜け尽くした0を別段考えたほうが原則にはまだ合いそうではあります。


しかし、この問題、本数だけでは主張がまかり通らないのであります。


④………ていうか、そもそもハゲって何なん?

証明するまえに、万人の納得を得るためには『ハゲとは何か』という定義が欠けています。

あくまでも一方的な主観でモノをのたもうても、それが相手にとって納得のいく答えとは言えません。


本人がいたく傷ついたり『ハゲちゃうったらちゃうんやーーー!!』と主張されたら、ここは優しく引き下がり、認めるほうが賢明かもしれません。

現実を突きつけまくる非情さばかりでは、世の中やってはいけません。



いずれにせよ、曖昧な概念には数学的議論は不毛なのであります。

どうしても議論したければ、あらかじめ、定義を明らかにしておかないとすれ違いが生まれます。さらには間違った解釈へと導きかねません。


数学的な思考というのは特別に難しいものではなく、『こう決めればこうなる』という定義の積み重ねに他ならないのです。

数字や数式なしでも、普段から物事がどうなるのか、どう見ていけばよいのか、見方でどう変わるのかは体感しているはずです。


だからこそ、もうちょっと、ややこしいと感じたりとか拒絶反応起こしたりする人が親しんでくれると嬉しいなと思うのであります。