科学が日常に見出されるまでに、其の弐。 | SPACE BOX

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放浪理系ラテンジャズミュージシャン碧川サヤカ(さかいさやか)のページです。
日々の出来事や思いをつれづれなるままに。科学と日常、音楽と、好きなものを好きなだけ語ります。

放浪理系女史・ミドリカワです。


引き続き、昭和31年の『物理新指導書』より。

巷では、数式が多くなるほど読んでくださる人が少なくなるという噂もなくはないようです。


だからというわけではありませんが………今回は物理指導書といえど、数式は敢えて出さずに行ってみようという次第です。


早速、中身を見てみましょう。
最初は光学器械です。このあとに波動分野でも光の性質に触れているのですが、何故か別立てで20時間も費やす力の入れ具合。
一緒にやらないのか、というのが最初の印象。

波動分野の光学一例………なおのこと一緒にまとめて系統立てればいいのにと思うのです。単発度合い甚だしいです。下手すると教師の雑学披露コーナーになりかねません。
やはり後年で系統的なカリキュラムにすべきではという話も出てきたりしています。

それに、この当時の理科という教科がどんな位置づけとねらいを持っていたかというと………問題解決に資するもの。
だとしたら、なおのこと単発のテーマの探究では勿体ないと思わずにおれません。


電流の単元の一部は、今では化学にまとめられている内容ですし。
科目間の関連もあまり考慮しきれていない印象。問題演習の流れも唐突な展開。実験や演示も大切にしたいという気持ちも分かるのですが、其処からどう科学的思考力に結びつけるのかは気になるところ。
其の壱にあったねらいや思いは良いのですが、実現するために伝えるべき内容構成は個人的にはもうちょい流れや実学との関連付けが欲しかったような。

経験主義・単元重視というのは、戦後にこれまでのスタンスを維持できるわけもなく急激に潮流が変わる中で急ごしらえで統一したものを作り上げるには時間が足りなかったこともあるでしょう。教師の力量に頼らざるを得ない、さらには地域特性などもあいまって学習内容も格差が生じる結果は否めなかったようです。

おそらく、他の出版社バージョンの指導書では、また違った構成もあると考えられます。
それでも激動のさなかに、築き上げられた苦労を思うと敬意を払わずにはおれません。


では、その前の中学校ではどうだったのかも参考までに見てみましょう。一部文部科学省のホームページから当時のアーカイブを抜粋しております。こちらは昭和33年と少し後になりますが、参考までに。
このときのものは改訂としては大きいです。

・学校は、個々の生徒について、その進路、特性等をじゅうぶん考慮し、それぞれの生徒に適した選択教科を選択させて履修させるように指導しなければならない。
→選択科目の幅広さ!ミドリカワの出身地である海なし県では水産は選択できないとも思うのですが………まるで高校の進路選択。
→職業科の教育内容が選択肢に。中学を卒業してすぐに社会に出る人も多かった時代背景もあると思われます。
・選択教科のうち外国語については、英語、ドイツ語、フランス語その他の現代の外国語のうちいずれか一か国語を履修させることを原則とし、第一学年から履修させることが望ましい。
→ドイツ語、フランス語…『その他の現代の外国語』って幅が広すぎ………(゜o゜;
・進路、特性等により数学をさらに深く学習しようとする生徒に対しては、第三学年において、選択教科の数学を履修させることが望ましい。
・第三学年において、進路、特性等により職業に関する教科を学習しようとする生徒に対しては、地域や学校の実態と生徒の必要とに応じ、職業に関する教科について、一四〇単位時間以上履修させることが望ましい。
→かなりこれでも弾力的な履修内容です。
生徒それぞれで学ぶ内容が異なるという対応が出来たのかという疑問もあります。実際にはある程度選択の幅を絞らざるをえなかったのではないでしょうか。生徒が多い時代だからこそできた内容かもしれませんが、これだけの科目を教える側の人員配置も大変そうです。
→そりゃ、地域格差が生まれることへの懸念も出てくるのは無理のない話です。


科学技術の発展のために数学と理科の拡充を図るための展開となるのですが、この中学校指導要領の改定に先駆けて今回の主役となる昭和31年バージョンでも理科の単位倍増という布石があるわけです。

なので、当時の最先端のトピックも出しておきたいという気持ちも現れる単元も。
写真通信とテレビジョンはできるだけ見学するように………テレビ黎明期ならでは。

この段階ではまだ原子分野は深入りした計算などは割愛していますが、昭和24年の湯川先生のノーベル賞受賞もあって話題としてあげられています。
この後になると、いきなり崩壊系列が出てきたり、大学で触れることも教科書に出てくるなど構成も大幅に変わります。
なお、現在だと、クォークも大学入試に出される時代。クォークの概念はまだ時を待たねばなりません(1963年に初めてこの名前が出されています)。
内容が一番激しく変わった、というのも、この分野ならでは。


全体として試行錯誤の感は否めませんが、これから日本を担う存在に何を体験させながら学んでもらうのかを考えてこられたのだなと。そして、実体験と日常生活、将来に活かしてほしいという思い。
国策も踏まえて教育のあり方をどうすべきかを変えざるを得なかった背景も垣間見られます。

戦後から復興、そして発展に向けて先人の方々は必死に動いてこられたのでしょう。
現場の裁量に任せていた部分が大きいとはいえ、いまの時代では想像もつかない状況下での基盤作りは並大抵のことではないと想像に難くありません。
だからこそ、より入り込みやすい実体験や日常生活、時事との結びつきがえられるトピックの選定を意識したかったのかもしれません。
なので、一概に内容批判だけというわけにはいかない気持ちもあるのでした。