ただ苦痛なのに、無理して其処に居なきゃ駄目なんでしょうか。
バカにされたり無視されたり自分自身が駄目だと思い知るために、一度其処に入ると決めたからにはやりきらないと駄目人間なんでしょうか。
………この2つの問いを面と向かって、新年度にとある生徒から聞かれた。
勿論、ノー。
が、彼らの過ごしてきた時間のなかで、相当堪えたのはわかる。自分自身の現状を観たいのと実力を伸ばしたくて、基礎からといえど他の受験生と入り込んだはいいがますます自分自身が何をしたいのかわからなくなった………形は違えどそんな話も毎年何処かしらある。
大抵はプラスに考えれば良い、とか、せっかくここまで来たのに勿体ない、とか、一生懸命プラスに持っていくことばかり考える。
が、本人たちは、実はそんな対応には十分慣れきっていて良い子になってるだけなこともある。それを演じ疲れて話に来る子達も多い。
『失敗=先の人生オワタ』
そんな式も組み込まれながら、絶望感のなかでやってくることもある。
だとしたらさ。
ミドリカワを見てみろ。
アラフォーな今でも働く場所は変わりまくってる。誰よりも失敗しているかもしれない。
居場所?いま居る現在地だよ。漸く人並みになれるかどうかと拗らせてるくらいだぞ(笑)。
本音を言わせてもらうと、音楽についても、最早名古屋ジャズでは無いのではないかと考えることは多々ある。でも、なんやかんやでお声がけしてくださったり気にかけて下さるかたはいらっしゃる。
現場に行っても相手にされずに無視されるとか、一度だけではない。本番中に憮然としながら終始やられたこともある。それも自らの実力不足と在り方の問題と思ってやってきた。
それが報われたこともあるし、結局縁が切れたり2度とご一緒出来ないだろうと思うこともあった。
確かにサックスプレイヤーは多く居るし、文字通り才色兼備なんてのは凄まじい方々が軒並み台頭している。
本物であれば、自分自身の音があるのだから、競合以前に其処に惹かれるものだということはよく分かっている。でも、それが全てにおける正義でもないし、かといってミドリカワが魅力あることができているかどうかは全く別の話だし、現実としてできているとは言いがたい。
そのうえでも言わせてもらう。
仕事の上で人間的な繋がりは避けられないが、其処の関係に縛られる必要はないということだ。
例えば、とある場所で存在を否定されたりする。
その原因を考えようにも、ダイレクトに答えを聴けなかったり、実は噂で良からぬことをきいて関わりを避けていることもあり得る。相手の考える『ステータス』を押し付けられているかもしれない。それは彼らなりの防護策であり、悪気の有無を求められても、彼らにはその非は心の底から分かることはあるまい。
だからといってやられる側にとって免罪符になるわけではないことも何処かで頭に入れておいた方がいいかもしれない。特に全体を観るものは。
気づけば自分の存在を弾かれて、周りがどんどん知らないところで色々やっていた………そんなことはよくある話だ。自分自身でノーを叩き付けた結果もいくつかある。叩き付けられたこともある。
ミドリカワの場合は、自らの人徳もあるし、結びつけだけが役割だと思うこともどれだけあったか。それだけ。
でも、そんなことはどうでもよい。
『明らかに違う』と思うところが、また、自らを痛め付ける方向になっているのなら、必死にクローズアップせずに一旦退いてみるのも1つだと。
存在がない?だとしたら、そのコミュニティだけが全てじゃないんだし、その相手の評価が全てではないし、こだわりを捨てるのも悪ではないよと。
住む世界が違う?………別に彼らと一生共にすることはあり得ないけど、いつか共感できるものを見いだせれば御の字だ。ただ、すれ違いがあれど理解してくれる人がいたら、そこは裏切るなと。
結局のところ、冒頭の質問に対してあれこれと語ったが、曖昧ながら結論として話したことは。
『お前らとは桁違いにやらかしてやっと今のところにいる。弾かれた数もだ。そのなかで「色々できる」とお前らが言ってきたことの全てがある。』
そこで『わかりました。俺も失敗しまくります』と言われて止めた場面もあったけどね。
『同じことはする(犯罪とか法に触れることはしてないよ)のは絶対やめろと念を押すけど、失敗しないと分からない世界がある。勿論、きちんと初めからあれこれ理解したりして上手くいく奴なんていくらでもいる。だからといって、お互いに否定する理由もないし、お互いの理想論を押し付けるのも馬鹿馬鹿しい』と。
実は自分自身にも相当問われることであるし、そんなことがなければ改造計画も立てることはあるまいて。変化こそ自然、というスタンスなだけだが、無理して変えなくて良いことも承知。
大学で学び直したい、という話にも『この歳から何するのか』『そんなことより生活費は』『今更それをやったところでそれで食えるのか』と相当訊ねられた。もっと年長の大学生や高校生だってニュースになるこのご時世にだ。願望や欲求を充たすタイミングは若くなければいけないなんて誰が決めたかといえば、それぞれの価値観や思い込みとしか最早言えないのだ。
この歳になってもやり直しているくらいなのだ。寧ろ、やり直せるタイミングが来たのは幸運ではなかろうか。
だからこそ、今、居場所が無いとか、年齢で無理とかいったフィルタリングを見直すためにあれこれ訊かれたのかもしれないしね。
若干卑屈さも出てしまった今回の内容ではあるが、こんな奴もなかにはいるし、若い連中のお悩みだってもしかしたら自分自身の問題や課題かもしれないよと。