寄り添う気持ち | うずら炭酸水

うずら炭酸水

信じるならば必ず疑いなはれや
耳障りのよい言葉に流される前に浮き輪を用意しなはれや

奥さんの旧ブログ

「まや☆道」のコメント欄を読んでいると、多くの人が読み専なのかアカウントを作ってるだけでブログは書いていないし、アメーバー会員じゃない方がめちゃくちゃ多いということが分かります。その大半が擁護コメントと某歌舞伎役者への中傷・・・ 呆れるほど多いので胸やけしますw

 

擁護するのは構わない

どっちの味方をしようが、どっちの言い分を信じようが個人の自由。だがしかし!一つの対象を守りたいがゆえに、もう一つの対象を中傷していいわけがない。自分が信じた人を「辛かったね。頑張ったね。」と寄り添うのは優しさでも、「辛かったね、あいつが悪い。」と、もう一方を中傷する言葉を足すのは優しさじゃない、と思う。

 

傷つけられたら、

傷ついた人が居たら、傷つけた相手を傷つけていいのですか? やられたらやり返すことでいいのですか? どこかの誰かが「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」なんてことを言ったそうですが、この言葉の意味は解釈する人によって違いは有れど、「イジメられたらイジメ返しなさい」という意味ではないとうずらは思います。

 

寄り添う優しさがあるなら

ついでのように誰かを叩いたり、中傷する言葉を足すことをしないで、弱音を吐き出しているその人に寄り添うだけでいい。別に支えなくてもいい、助けなくてもいい、寄り添えるあなたが居てくれるだけで相手は救われることもあるってことに気づかないままで居ないで欲しい。

 

AKH信者は寄り添える優しい人、

だけどその優しさを少し履き違えてしまっているんだろうね。最初の頃は辛いのにブログに書いてくれてありがとう、その気持ちの方が大きかっただろうに。偽創造主の奥さんはその純粋は気持ちを歪ませたんだろうな・・・