雨音の中で想ふ(トラウマ治療日記 3) | アダルトチルドレン時々日記

アダルトチルドレン時々日記

機能不全の家族の中で育ち、その後遺症を人生上に色濃く残し、一般常識とまともな生活を知らず、悲観的なことを言いつつ能天気な性格でふらふら気ままに流転の人生を送っております。魂の病気と共存し狂気と正気を往ったり来たりする日常を徒然なるままに書き綴ります。

一日雨が降ってましたね。一日中この曲が頭の中に流れてました。




トラウマ治療で私以外のこともいろいろ知ることが出来てくるのですが、弟のことを話した時
カウンセラーが「弟さんの命は長くないかも知れません」って言ったんですよね。
弟は完全に壊れている。そういう人というのは長くは生きないと・・・
私もね、そう思うんですが、いろいろ考えてしまい・・・(T_T)

私の周りなんてのは、アダルトチルドレンのオンパレードです。大体風俗嬢なんてのは
みんなACと言っても過言ではない。その前から付き合っている人種がヤクザや麻薬中毒で
あれば、まともなのは一人もいないわけで・・・そういう連中の末期は大体不健全な死ですわ。

ACや依存症の定義は、斎藤学の『アルコール依存症の精神病理』を読んでいただいた方が
分かると思います。彼の初期の本で、すべての依存症に通じるバイブルでしょう。

なぜ依存症(摂食障害でもアルコールでもドラッグでもギャンブルでも買い物でも恋愛でも
宗教でもセックスでも自慰行為でもメールでもパソコンでもなんでもかんでも)になるか、
大雑把に一言で片付けてしまうと、
「ある感覚に耐えられないので、何かに没頭して酩酊状態になり、その感覚から逃れようとする」
ということがきっかけにあるようです。
そして、一度それに成功するとまた再び同じことを繰り返し、ドツボに嵌っていくという構図です。
重度の依存症までくると、酩酊状態に誘ってくれていた魔法の道具(行為)は、苦痛になって
しまうのであるが、その方法しか見出せず、さらにそれから刺激を得ようとどんどん深みにはまり
命を縮めるという方程式になるようです。

その【ある感覚】と【没頭して酩酊状態になる道具】は人それぞれで、例えば私の場合、
非常に強い孤独感、見捨てられ不安の感覚に弱く、素のままでいるとそれに押しつぶされそうになり
酒に逃げたり、喰いまくって頭を白くしてみたり、昔だったらドラッグだったりしたわけです。


それは置いといて・・・弟のことですが、私の知る限りギャンブルと薬でした。
ところで依存症には、依存症から抜け出せなくさせてしまう『お世話役』というパートナーが
いるそうです。 アル中にはダメと言いながら酒を与えてしまうパートナー。
DV男には殴られて我慢しちゃう女。借金息子には土地まで売って金を工面してやる親。
引きこもりやニートにはメシを作ってあげちゃう母親。

弟には父の暴力から逃げた先の祖父母の家でした。祖母が溺愛したんです。
溺愛は愛ではありません。虐待です。自らの足で立って歩くという自立を出来なくさせる虐待です。

表面的には愛に見える歪んだ虐待の中で、弟は、自分の足で立つことを忘れ、自分の頭で考える
ことを放棄したままで放置され、甘えと恨みと妬みで構築されたんだと思います。

しかし、これが本当の愛ではないと、本能は知っているはず。

だから故に何かに依存していくようになるのでしょう。
幼い子供には、愛の不足による心の穴を埋める行為・・・なんて言語化出来ないはず。
何がなんだか分からずにドツボにはまっていったのでしょう。
そして成れの果てという現象が生じたのでしょう。

一瞬、親と祖母を恨んだんですよ。どうしてこういう育て方をしたんだ!ってね。
でも、よく考えたらうちの親だって、特に父親なんてのはひどい幼少期だったし、母親だって
母の父(私の祖父)から暴力を受けていたらしいです。
だから一代前だけが悪いんじゃないんだって思ったら・・・

もう、何を恨んでいいか、何に対して怒っていいのか分からなくなっちゃってね・・・
だって結果には原因ってのがあって、原因にはその原因になるなんらかの意思がきっとあった
のでしょう。
親だけが悪いわけではない。あの人たちだって好きでそうなりたかったわけではないでしょう。
でも・・・んなこと考えても、心は痛いんですよ・・・ 
何年も会ってないけど、どこかで弟が苦しんでいるわけでしょう。やっぱ辛いですよ。
どこで何をやっていてもいいけど、幸せでいて欲しい。これはすべての命に思っていることかもな。



「弟さんは、人生短いはずです。でもドン底になっても決して助けてはいけません。
助けたら気付けないのです。それで死んだら、宿命なのです。」

「そうですか・・・厳しいですね。手を差し伸べたくなりますよね。」

「野犬には野犬の世界がある。そこで生きていくものにはそこでの生き方がある。
気付いて這い上がって来るかも知れませんから。」



比叡山で千日回峰行を成し遂げ阿闍梨になった人をテレビで観た事がある。
その方の言葉で、なんだっけな・・・諸行に対して祈る、というような言葉を言っていた記憶が
あるのですが、みんなの幸せを祈るために修行をしてるみたいな・・・それを思い出したんです。

人は人のためにどれだけのことが出来るのか。救いや協力と思ってやったものが依存を強めたり、
良かれと思ってやったことが仇になったり・・・


だからね・・・祈ることしか出来ないんじゃないかなって・・・・・

今の私には弟に何かしても、依存を強くさせることになってしまうのかも知れないと思った。
だとしたら、祈ることしか出来ないのかなって・・・・・


元気で生きてください。幸せの中で生きていきますように・・・って


あとは・・・運を天に任せるしかないのかも知れない。
宇宙よ、弟を見守っていておくれ。彼の歩む道が光で照らされますよう。導いてください。

・・・ってね・・・・・・


一日雨音を聞いていると・・・いろいろ想うもんだ・・・・・暇?え、暇だって?
ハハハ・・・そうかも(^o^;)



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