東京某所、高級クラブが連立するところで、ヘルプのステスをやっていた私は、綺麗な服を
着ているだけで、体の中はインド旅行の続きのようだった。
飲酒がもたらした慢性腸炎と表層性胃炎は悪化し、店に入っても何度もトイレに駆け込むことが
しばしばで、ホステスからは急激に痩せていく私はシャブでもやっているのではないかと
言われるようになった。
私を気に入った客が1日置きに来て、来る度に数十万円のボトルを空けてくれる。
そして毎回必ずアフターに私を連れ出し、酒が飲めなかった私に赤ワインを1升近くも飲ませる
のだった。 酒を飲ませてなんとか性交渉まで持っていこうとする根性が気に入らなくて、
私は自分の健康を引き換えに、ワインを浴びるように飲み、客の挑戦状を 『酔わない』 という
ことでつっ返すことをしていたら、苦手な酒で体が蝕まれる様になった。
ほぼ1日置きに胃腸病院で点滴をするようになっていた私は、毎日、赤痢かと思うくらいの水様便に
悩まされていた。 慢性の腸炎と胃炎。 内臓も痛みだすと背中やいろんなところまで痛くなる。
毎日体中冷えて眠りも浅く、深い眠りにつけないので疲労感と毎晩の酒で脳ミソがシビレていた。
今思えば、若気の至りにしか取れないくだらないことを、一生懸命やっていたが、こんな状態が
長く続くはずもなく、水商売をやっていて生まれて初めて寝込んだ。
そういえば、その頃からオヤジが金をせびりだしたんだよなぁ・・・
何ヶ月にもわたる体調不良と度重なるオヤジへの金銭援助が私の目の前に横たわり手招きしている
風俗業界のハードルを越える背中を押したんだよな。
ぼんやりと考えることが多くなった。 ・・・風俗行くのに2ヶ月枕を涙で濡らしたなぁ。
フリーで売春しても、風俗なんて組織に身を売りたくなかったっけ。
なんで私がこんな裏街道のハナクソみたいな人間どもの手下で働かなきゃなんね~んだよ。
・・・なんて思ってたもんだ。 今じゃ、売り出してくださって有難うございますだよな。 クソクラエだわ。
あの時の私は生意気盛りだったよぁ・・・。
モデルや女優を経て、大して売れないから高級クラブのホステスへいく道のりは決して珍しいもの
ではない。 そんな女が沢山いた。 当時の私はとてもプライドが高かった。
誰にでもつけあがる時期が一生に一度だけあるとしたら、私は間違いなくこの時期だと答えるだろう。煮ても焼いても喰えない女だったのにパトロンがいたのも七不思議だ。
その頃、同性愛者の友人からSMの愛好家たちを紹介してもらい、SMの世界にスルスルと入り、
ホステスで溜まった憂さを奴隷と称する男たちで晴らしていた。
酒による体調不良で、この遊びが本業になるとはまだまだ夢にも思わなかった頃が私にもあった。
またどれくらいそこに居たんだろう。 どこかに飛ばしていた心が肉体に戻ってきた頃には、
ずい分冷えた体に驚いて、瞬きをしたら目玉まで乾いていたようで涙まで出てきた。
瞬きも忘れてぼんやりしていたのだろうか。
ひとしきり毎度毎度の回想をした後に、コートのポケットの中に突っ込んだ両手をそのまま体の前に
持ってくるようにして首をすくめて冷えた体を丸め、今日は客の入りが悪いもんだとぼやきながら
カビとタバコの匂いのする店へと歩き出した。