9月23日夜に、うずらが旅立ちました。
14歳と推定3ヶ月でした。
脳腫瘍ではないか、と告げられてから同じ病の猫ちゃんのブログをいろいろ探してまわりました。
中にはうずらと同じ名前の猫ちゃんもいたりして。
お別れまでの間、心の準備をする助けになりました。
願わくば、このとりとめのないキロクも、縁あってここへたどり着いたどなたかのお役に立つことがありますように。
前回のブログで、徘徊しすぎて肉球を痛めたうずらのことを書きました。
次に徘徊が激しくなったらサークルケージに、と思っていましたが、20日には後ろ足が麻痺して立ち上がれなくなっていました。
今までもたまに立ち上がれなくなって、イモムシみたいにほふく前進している時はあったんだけど、一時的なものでした。
今度のはどうも元に戻らない。
部屋中に敷き詰めたペットシートを蹴散らかして移動するので、再びオムツをつけることに。
立ち上がれなくなると同時に、シリンジごはんも飲み込んでくれなくなってきました。
それまでは日中3時間ごとに、a/d缶にチューブダイエットを混ぜた高エネルギーごはんでなんとか4kg前後の体重を維持していたんだけれど、飲み込んでくれないことにはどうにもならない。
シリンジごはんを強制給餌と呼ぶように、嫌がる子の口に無理やりごはんを流し込むことに心を痛める飼い主さんも多いらしい。
脳腫瘍のうずらは意識がぼんやりとしていてほとんどお人形さん状態なので、嫌がることはありません。
オシリを拭くのもお腹のブラッシングをするのも薬を口の中にねじ込むのもシリンジごはんも点滴を打つのも、基本的に楽チンでした。
病気とはいえせっせと世話を焼く時間が幸せですらあったのに、ごはんを飲み込んでくれないとなると俄然辛くなってきました。
飲み込まれないままのごはんが、ただただ口の中に溜まっていて、口の端から漏れてくる。
うずらがあまり動き回れなくなってきたので、夜は寝室の枕元にサークルケージを設置して見守ることに。
22日の夜には寝たきりに近い状態になって、ケージを撤去。ひと晩中浅くて早い呼吸。
連休が明けた23日も呼吸は早いままで、足先がひんやりしてきました。
いよいよお別れが近いと悟ったので、トイレに行く間も惜しんで付き添いました。
仕事に出たオトンにうずら旅立ちの連絡メールをすることになるだろうと、覚悟していました。
何度か苦しそうにもがいて失禁するも、うずらを楽にしてくれるお迎えは来ないまま。
しんどそうな時間があまりにも続くのがかわいそうで「う〜ちゃんもう頑張らなくて良いよ〜」と何度も声をかけました。
「シンジ(オトン)が帰ってくるの待ってるの?」って。
一番しんどいのはうずら本人だからと、泣いては気を取り直しを繰り返しながら見守りました。
脳腫瘍かもとわかった時から、どんな最期を迎えるんだろうかなるべく苦しまない最期であって欲しいとは考えていた。
長時間ずっと苦しそうに息をしているうずらを見ていたら、安楽死の選択もありだったのでは?とも思った。
回復が望めないとは言っても、時によっては食欲がふと出てきたり、ウンチが出たオシッコが出たというだけで一喜一憂する日々もとても大事で貴重な時間だったので、「もう良いので終わらせてください」とは言えないまま過ぎてしまった。
そしていざ断末魔にもがき耐える愛猫を目の当たりにすると、もう今キャリーに詰め込んで病院に運ぶなんて乱暴なことは到底できなくて、見守るしかできないのです。
その時にはうずらは身体だけでなくて首もふにゃふにゃで座らなくなっていたので、抱き上げることも難しくなっていました。
一説には、最期の瞬間は意識がかなり混濁していて、はたから見るほど苦しさの自覚はないともいわれるらしい。
でも本当のところは誰にもわからないよね。
人間側の勝手な願望かも知れない。
脳波でも測ったら、わかるんだろうか?
ずっと苦しそうだったけど、昼間少しの時間うずらがかすかにゴロゴロ言っていた気がするのは気のせいかな。
走ったりジャンプしたりしなくなって、なんとなく元気がなくなり出した頃からもう何年も聞かなくなっていたゴロゴロ。
すごく小さい音だったけど、生死の境をさまよって忙しなく呼吸している間、後にも先にもあのいっ時だけ、昔のう〜ちゃんの意識が帰ってきて応えてくれてるみたいな気がしました。
夜になってオトンが帰宅して、「もう8時になるよ早く食べよう」とふたりして食卓に付いた直後。
すぐ横のベッドのうずらが突然咳き込むような様子を見せて、一瞬吐くのかな、と思ったけど呼吸困難になっているんだとわかりました。
大きく痙攣したあとで、今までの忙しい呼吸が嘘みたいに静かになって、お腹が動いていないよ、と伝えるもオトンがいや、大丈夫動いてるよと食卓に戻ろうとする。
確かに肩のあたりとか手足が少し動いたけど、息が止まったあとも多少動くことはあるよ。
初代のとらちゃんの最期がそうだった。
苦しんでいたのがパタっと止まって、とら?って呼びかけたらつつつと顔をこちらに向けたのを、わたしはいまだに覚えている。
当時わたしは絶賛引きこもり中の登校拒否児童だった。
休日で弟も家にはいたけど、TVゲームか何かをしていて見ていなかった。
とらちゃんの最期を見守っていたのはわたしだけで、しかも呼びかけに応えてくれたにもかかわらず、わたしは怖くなってその場を離れて布団に潜りこんだのでした。
なんて最悪なヤツ。
自分への戒めのために絶対に忘れません。
話が脱線したけど、やっぱり、うずらのお腹は動いていない。
ついさっきまで熱を持ってピンク色だったお耳が、真っ白になってる。
身体に耳を当てて心音を探しても静か。
黙ってるオトンに「逝っちゃったかも知れん」と伝えたらまた泣けてきた。
本当に「シンジの帰ってくるの待ってたんだよ」って。
ホントに律儀なお利口さん。
オトンも泣いていました。
あんなにたくさん世話してもらって、うー子は幸せだったよ、とオトンは言うけど、たくさんお世話させてもらって幸せだったのはむしろわたしのほうなんだけど。
自分の力でできることは惜しまずやり切ったと思っているし、具合が悪くなる以前からお別れの日まで毎日、いい子だね〜美人さんだね〜好き好き〜うちの子になってくれてありがとう、としつこいくらい言い続けてきたので、ありがた迷惑ながらもうずらにはちゃんと伝わっていると思う。
愛するう〜ちゃんが苦しみから解放されたと思えば悲しくはないんだけど。
う〜ちゃんのおデコの香ばしいパンケーキのようなにおいをもう嗅げないんだなぁと思うとやっぱり寂しい。
お米の袋並みにずっしり重たいのに、ついつい抱っこしたくなっちゃうあったかくて柔らかいう〜ちゃん。
できたらまた生まれ変わって、うちに来てくれたらうれしいなぁ。
わたしもオトンももうそんなに若くもないので、なるべく早めにね。
サヨナラでなくてまたね、と言っておこう。
これからもずっと大好きだよ、う〜ちゃん。
お気遣いや応援のメッセージをくださった方々、ありがとうございました。
ログインしないまま保存期限が過ぎて、スルーしてしまった方がいましたらごめんなさい。
お立ち寄りいただいた皆さんに感謝です。
旅立つ前日の朝のう〜ちゃん。
前後不覚なぽ〜っとした表情でオトンに抱っこされています。
ピンクのバンドはオカン手作りのおむつサスペンダー。
壁やキャリーバッグの中など行き止まりでもグイグイ頭を擦り付けて進もうとするせいか、ここ数ヶ月でお鼻が黒くなってしまいました。