カンザスの商業施設で自爆テロが起こり多くの民間人が犠牲になった。国土安全保障省はテロ実行犯がメキシコの麻薬カルテルの仲介で米国に不法入国したと睨み、CIAのクレイヴァー(ジョシュ・ブローリン)にカルテル殲滅を依頼。クレイヴァーはカルテルに家族を殺されて深い恨みを持つ元検察官のギリック(ベニシオ・デル・トロ)を雇い、カルテル殲滅作戦を試みる。その作戦の一つとしてカルテル同士の争いを誘発させるべく、彼らが取った作戦とは…。
15年に公開された『ボーダー・ライン』は米国とメキシコに国境付近を舞台に麻薬組織の摘発に明け暮れるFBIや国防総省などの暗躍を描いたハードボイルドな傑作だったが、そのスピンオフ作品が三年後に製作。当初は前作の続編と言われていたが、登場人物は被っていてもストーリー的には特に繋がりがない様だ(ヒロインのエミリー・ブラントの降板が決定した事で内容が変更になった?)。新鋭のイタリア人監督ステファノ・ソリマが監督を務め、前作で強烈な存在感を示したベニチオ・デル・トロ、『ジャグラー ニューヨーク25時』(80)などの出演があるジェームズ・ブローリンの息子であるジョシュ・ブローリンなども前作に続き出演している。
その作戦とはとあるカルテルのボスの愛娘イザベル(イザベラ・モナ―)を拉致して他のカルテルの仕業に見せる事。自作自演で一旦拉致したイザベルを救出した形のギリック、マットたちだったが、メキシコに戻る途中メキシコ連邦警察の汚職警官たちから奇襲を受け銃撃戦に。ギリックたちは警官たちを皆殺し、ギリックは単身で行方が分からなくなったイザベルを捜す事に。アメリカに戻ったマットに寝耳に水の宣告が。彼らの偽装工作はメキシコ政府に筒抜け、自爆テロはメキシコのカルテルとは無関係だった。事実を全て知るイザベルを抹殺せよとの指令が下され、マットたちは再度国境付近に飛ぶ事に。イザベルを見つけたギリックは…。
前作と同じく米国とメキシコとの国境付近を舞台にハードな攻防戦が描かれるのだが、前作にあった様なやりきれなさは希薄。前作では復讐に燃える冷血漢だったギリックだが、本作では、父親は悪党でも本人には何の罪もない娘の命を救う為国家に反逆するのも厭わぬ熱血漢にキャラ替えされている。その一方で年端もいかぬ少年が当たり前に悪の道に染まっていく様もメインストーリーと同時進行で描かれており(途中から腕にタトゥーを入れているのが象徴的)、安っぽいヒューマニズムで解決する訳ではないという、現実の厳しさは強調される。麻薬王の娘を演じたイザベル・モナ―の意志の強そうな面影が印象に残った。人気出そうだな。
作品評価★★★
(トランプ大統領政権下ならではのテーマ。振り返ればベニチオ・デル・トロって出世作の『トラフィック』でも似た様な役柄だった記憶がある。家族的なトラブルがあり視聴に集中しづらい部分もあったので、もっと映画に集中できていたら前作と同じく★四つ進呈していたかもしれん)
映画四方山話その584~東宝映画の旧作
今年の東京国際映画祭で阪東妻三郎主演の不朽の名作『無法松の一生』(43)の修復版が上映されたというニュースがあった。この作品に限らず戦前のフィルムの痛み方は半端でなく、修復するのも保存するのも大変な費用がかかる様だ。俺みたいな映画マニアは旧作をジャンクする映画会社側を厳しく批判してきたが、会社側にもそうせざるを得ない苦しい台所事情がある…という事でしょう。
俺の東京映画ライフ後年の20年間は、そんなジャンルされていてもおかしくない日本映画の50年代から60年代前半かけての、プログラムピクチャー作品の鑑賞に明け暮れていたけど、ふと振り返ってみると観た作品は圧倒的に東宝作品が多かった。それ以前は黒澤明、小津安二郎、成瀬己喜男といった巨匠の作品を除けば、東宝の旧作なんて『社長』シリーズ、『駅前』シリーズ、クレージー関連の喜劇映画や『若大将』シリーズ、ゴジラなどの特撮物ぐらいしか観る機会がなかったのだが、90年代から昔のプログラムピクチャーを上映する映画館などが増えた事もあり、今まで全く無縁だった東宝の純商業的な旧作に出会う機会を多く持てた事は、俺の映画観にも大きな影響を与えた。
つまり東宝は他の映画会社とは違い旧作の保存に対し熱心だった…と言えるのかも。50年代から60年代前半にかけて多く製作された会社を舞台にしたビジネス物(社長シリーズもその一つだ)。まあ描かれている会社内での恋のさや当てなんかは現実とはかけ離れた物ではあるが、高度衛材成長下では進んで会社組織の一員となり仕事に励むのが、その時代の若者たちの普通の理想形だった(作品で描かれる大卒のビジネスマン自体が憧れであったはず)。
新劇俳優の代表みたいな仲代達矢が『サザエさん』でノリスケ役を演じていたり『大番』シリーズで主人公の牛ちゃん(加東大介)の理解者役といった、純プログラムピクチャー作品に顔見せしているのも愉しかった。
当時の東宝女優では若林英子が好き。今で言う「クール・ビューティ」その物の美女で何故東宝が本腰を入れて彼女をもっと売り出さなかったのか、不思議でならない。
監督では旧作が当たり前に上映されるまでは映画ファンにも殆ど名前が知られていなかった鈴木英夫が「再評価」された。あらゆるジャンルを手掛けた典型的プログラムピクチャーの作り手だが、特にサスペンス物に手腕を発揮されたとされている。あの石原慎太郎が素そのまんまの?冷血漢を演じた『危険な英雄』(57)なんて作品もある。
特撮映画で有名な本多猪四郎監督だが、50年代まではそれ以外の文芸物や恋愛物も多く手掛けていた事はあまり知られていない様だ。最後の特撮以外の作品となった『お嫁においで』(66)は完全無欠な二枚目として売り出されていた加山雄三がヒロインにフレれてしまう珍しい作品なのだが…。
そんな、ある種危機感に欠けた現実肯定的な作品を次々に送り出してきた東宝も、60年代半ば辺りから作品の方向性に迷いが生じ(戦争映画のお盆興行という路線のみはっきりしていたけど)、加山雄三が虫けらの様に殺される『弾痕』(69)みたいな作品が登場する事になるのだが…。