どうでも良いことなのですが、、、
(所詮どうでも良いことしか書いてません)
自分自身の身の上に嬉しいことが起きるよりも、誰かの身の上に嬉しいことが起こることを見る方がより充足感があり、つまりは自分が嬉しくなる。。。
てな現象ですが、よくわかりませんが例えば単位は不明ではありますが「50」くらいの喜びが自分に降ってきたとします。
自分はその「50」をそのまま「50」として完全に嬉しがることが出来るか?と言うとどうもそうではないように思います。
それなりの悩みや辛さを抱えてきている自分に「50」が降ってきたとしても自分自身で感じるそれは己の中にあるマイナス要因を受けた後に「30」になったり「20」になったり、、もしかしたら完全に打ち消し合ってしまい「0」になってしまうかもしれません。
それに比べて自分ではない誰かに降ってきた「50」は、傍から見るとやっぱりそのまま「50」に見えるような気がします。
「誰か」は結局自分ではないのでマイナスとなる何らかの要因が誰かの中にあったとしても確実には分かりません。
もし客観的な要因があったとしてもやっぱり確認することはできないので、そうなると誰かの「50」は限りなく「50」に近く見えるような気がします。
だとするなら、同じ「50」が降ってくるなら、自分より他の誰かに降ってきた「50」の方がそれを見た自分がより嬉しくなれるのかもしれません。
そうであれば自分ではなく誰かの幸福を望むことも案外ありなのかな、と思ったり。その方がずっと良いのかもしれません。
年明け早々、相変わらずくだらなくてすみません、、、
今年は音楽をもっと聴きたい!!
楽器が上手くなりたいので小野照崎神社に初詣に行きました、、
まあ、「練習しろ!」ってことですよね